西洋建築史 フライング・バットレスの奇跡
「がんばらないけど見せどころをつくる。100点取ろうとすると飽和しちゃうから。他人が見るときの幅をつくるように」
(設計製図と設計演習と他の課題の三重苦に苦しむ学生へ中谷先生から)
「中世の窓から」阿部謹也
中谷先生が読んだ本の中でもbest10に入る名著。
暗闇時代は必ず中世である。何故ならそういう定義だから。よく分かる過去と現在の2点のことはいいが、その間のよく分からない期間を「中世」と名づけてしまう。そうやって出来たのが中世という歴史ゆえ、中世には元から「よくわからないもの」という概念がある。
わかる過去=古典<わからない過去=中世
それゆえ、近代建築にも古典と中世がある。
丹下健三は古典(分かる過去)だけれど、早稲田の建築は中世(よくわからない)
例えば村野藤吾や、吉坂隆正、石山修武などは、正直よく分からない。
カウンターカルチャーという見方もできるかもしれない
バシリカ空間の誕生
・長方形の平面を持ち、内部にクリアストーリ(採光用の高窓)、列柱のアーケード
・キリスト教が迫害されていた時期、粗末な木造小屋が発生。柱梁のため、日本家屋に似た、母屋と庇
→主廊(NAVE)と側廊(AISLE)が発生。バシリカの起源は木造形式だった。
バシリカの木造が、アーチ、ドームに展開された。木造からレンガへ
ギリシャ、ローマときて→ロマネスク→ゴシック
「ロマネスク」は「ローマ風の」という意味。
「ゴシック」は「ゴード族の(ゲルマン系、より内陸の)」という意味
問)ロマネスク・ゴシック 両者は連続しているのか?その内的な発展性はなにか?
ロマネスク:適正な低さ、厚い壁、小さな開口、シンプルなヴォールト、自給自足の場
ゴシック:異様な高さ 薄い壁、大きな開口 複雑なヴォールト、都市の中心
ロマネスク期における「低い天井、厚い壁」が、ゴシック期になると「高い天井、薄い壁」へと変化していく。この構造的飛躍はどのように起こったのか。
シャルトル大聖堂、ノートルダム大聖堂、 king`s colledge chapel
・ロマネスクからゴシックへの特徴1 リヴ・ヴォールト
ヴォールトを交差することで発見された線は、重たい天井が細いアーチで支えられているように見える。
・ロマネスクからゴシックへの特徴2 尖塔アーチ とにかく高さを追求する
↓
フライング・バットレスの発見 ゴシックの幕開け、大発明。
教会には主廊と側廊があるが、側廊の壁から、側廊の屋根をまたいで主廊の壁を支えるのがフライング・バットレス。いってみりゃ、つっかえ棒のこと。
ヴォールトはアーチの連続体なので、外に開こうとする力が働く。
主廊の壁が倒れないように、フライング・バットレスがそれを支える。
シャルトル大聖堂の平面図。フライングバットレス、ありますね。
ノートルダム大聖堂のフライング・バットレス。ありますね。「隠しの美学」
高さへの追求を可能に。
高さ、薄さを追求したからこそ、つっかえ棒が必要である。
外部空間で構造を担当し、内部空間から重力をなくす。
バットレスの複雑な表現がさらに構築製を倍化させる。
フライング・バットレスこそが、マジックの種。
全体の構造とすれば合理的だが、断片的には成立しえないかのような空間ー「奇跡としての建築、奇跡のような建築ではなくて、建築で奇跡をつくる。
キングス・カレッジ・チャペル(イギリス)
壁はほぼガラスだが、バットレスがあるから保っている。
キングス・カレッジ・チャペルの外観(右はグーグルアース)
ちゃんと、バットレス、ありますね。
・ゴシック建築を支えたもの
1:自治都市の誕生→修道院から都市の公共建築としての教会へ
2:職人層の台頭、ギルド(組合)の誕生、徒弟制度、世襲制、技術の私的所有
3:キリスト教を中心にした国家共同体の表現としてエスカレート
この辺はドラクエの都市と同じ。
ぐるっと都市を囲む城壁があって、中心に教会があって、都市が独立している
・ケルン大聖堂
・シャルトル大聖堂・フランス
・サン・ドニ(フランス)
その後
ゴシック建築の終わり
新しい修道院運動 貴族的なベネディクト派から民衆宗教へ
民衆に説教場としての均質な空間へ
民衆は高い薄いヴォールト空間の魔法に飽きてくる
イタリアを中心に「ゴシック飽きた運動」が起きる(笑)
しかしイギリスだけはゴシックが終わらない。植物的な繊細さへ進化していく。
バース大聖堂、キングス・カレッジ・チャペル
このイギリスのガラパゴスな進化が、後にクリスタルパレスを生んだ。
(設計製図と設計演習と他の課題の三重苦に苦しむ学生へ中谷先生から)
「中世の窓から」阿部謹也
中谷先生が読んだ本の中でもbest10に入る名著。
暗闇時代は必ず中世である。何故ならそういう定義だから。よく分かる過去と現在の2点のことはいいが、その間のよく分からない期間を「中世」と名づけてしまう。そうやって出来たのが中世という歴史ゆえ、中世には元から「よくわからないもの」という概念がある。
わかる過去=古典<わからない過去=中世
それゆえ、近代建築にも古典と中世がある。
丹下健三は古典(分かる過去)だけれど、早稲田の建築は中世(よくわからない)
例えば村野藤吾や、吉坂隆正、石山修武などは、正直よく分からない。
カウンターカルチャーという見方もできるかもしれない
ロマネスクからゴシック 中世へ
バシリカ空間の誕生
・長方形の平面を持ち、内部にクリアストーリ(採光用の高窓)、列柱のアーケード
・キリスト教が迫害されていた時期、粗末な木造小屋が発生。柱梁のため、日本家屋に似た、母屋と庇
→主廊(NAVE)と側廊(AISLE)が発生。バシリカの起源は木造形式だった。
バシリカの木造が、アーチ、ドームに展開された。木造からレンガへ
ギリシャ、ローマときて→ロマネスク→ゴシック
「ロマネスク」は「ローマ風の」という意味。
「ゴシック」は「ゴード族の(ゲルマン系、より内陸の)」という意味
問)ロマネスク・ゴシック 両者は連続しているのか?その内的な発展性はなにか?
ロマネスクからゴシックへの構造的発展
ロマネスク:適正な低さ、厚い壁、小さな開口、シンプルなヴォールト、自給自足の場
ゴシック:異様な高さ 薄い壁、大きな開口 複雑なヴォールト、都市の中心
ロマネスク期における「低い天井、厚い壁」が、ゴシック期になると「高い天井、薄い壁」へと変化していく。この構造的飛躍はどのように起こったのか。
シャルトル大聖堂、ノートルダム大聖堂、 king`s colledge chapel
・ロマネスクからゴシックへの特徴1 リヴ・ヴォールト
ヴォールトを交差することで発見された線は、重たい天井が細いアーチで支えられているように見える。
・ロマネスクからゴシックへの特徴2 尖塔アーチ とにかく高さを追求する
↓
フライング・バットレスの発見 ゴシックの幕開け、大発明。
教会には主廊と側廊があるが、側廊の壁から、側廊の屋根をまたいで主廊の壁を支えるのがフライング・バットレス。いってみりゃ、つっかえ棒のこと。
ヴォールトはアーチの連続体なので、外に開こうとする力が働く。
主廊の壁が倒れないように、フライング・バットレスがそれを支える。
シャルトル大聖堂の平面図。フライングバットレス、ありますね。
ノートルダム大聖堂のフライング・バットレス。ありますね。「隠しの美学」
高さへの追求を可能に。
高さ、薄さを追求したからこそ、つっかえ棒が必要である。
外部空間で構造を担当し、内部空間から重力をなくす。
バットレスの複雑な表現がさらに構築製を倍化させる。
フライング・バットレスこそが、マジックの種。
全体の構造とすれば合理的だが、断片的には成立しえないかのような空間ー「奇跡としての建築、奇跡のような建築ではなくて、建築で奇跡をつくる。
キングス・カレッジ・チャペル(イギリス)
壁はほぼガラスだが、バットレスがあるから保っている。
キングス・カレッジ・チャペルの外観(右はグーグルアース)
ちゃんと、バットレス、ありますね。
・ゴシック建築を支えたもの
1:自治都市の誕生→修道院から都市の公共建築としての教会へ
2:職人層の台頭、ギルド(組合)の誕生、徒弟制度、世襲制、技術の私的所有
3:キリスト教を中心にした国家共同体の表現としてエスカレート
この辺はドラクエの都市と同じ。
ぐるっと都市を囲む城壁があって、中心に教会があって、都市が独立している
・ケルン大聖堂
・シャルトル大聖堂・フランス
・サン・ドニ(フランス)
その後
ゴシック建築の終わり
新しい修道院運動 貴族的なベネディクト派から民衆宗教へ
民衆に説教場としての均質な空間へ
民衆は高い薄いヴォールト空間の魔法に飽きてくる
イタリアを中心に「ゴシック飽きた運動」が起きる(笑)
しかしイギリスだけはゴシックが終わらない。植物的な繊細さへ進化していく。
バース大聖堂、キングス・カレッジ・チャペル
このイギリスのガラパゴスな進化が、後にクリスタルパレスを生んだ。
2011-06-28 20:28
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