「進歩と調和の発明」丹下健三について [建築の歴史]
「進歩と調和の発明」丹下健三について
丹下健三
戦後の経済成長にシンクロしたのが丹下健三だった。
この図の交点が丹下健三です。タイミングもバッチリだった。
大阪生まれ
東大 コルビュジエに傾倒
風俗通いしてたとか、イケイケだったという話も。
東大で「丹下研究室」をつくり、槇文彦、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生らを輩出した。
丹下健三といえば、フジテレビや都庁が思い浮かびます。
しょっぱなから余談ですが、僕と丹下(都庁)の出会いは稲中卓球部です。小5。
今週、パスポートの更新に都庁見て、昨日、ゆりかもめでフジテレビ見ました。
都庁 かっこいい。
フジテレビ
国連大学
確かに、巨大ロボっぽいような気もします。
(余談おわり)
丹下健三の卒業設計を見る。
パースの真ん中に建物がない。門としての建築。建物に切り取られた何もない空間を主役にしていた。
学生のころからそれを意識していたのはすごいのでは。
1953 今はなき丹下自邸
木造のサヴォア邸みたいな見た目 かっこいいよね。とレーニン先生。
たしかに凛とした感じがするような気がする。
中心で構造を担保し、そこから広がるように構成するコアシステム 樹のよう。
丹下健三は、日本のあらゆる庁舎を作りました。
東京都(旧)庁舎・・は、画像ないので飛ばしまして、
香川県庁舎
一昨年の夏に自転車で四国まで行ったときに訪れました。
これもコアシステム。あとピロティもある。
日本建築の伝統である木造建築の木組みの美しさをいかにコンクリートで表現するか。
ジャジャジャジャーン!ここの梁の細さね!!雨水を流す管もうまく収納している。
コンクリートの梁は、当時の建築技術の限界の細さだったとか。
このあと出てくる広島平和記念資料館もピロティが出てくる。コルビュジエに傾倒していたということを頭の片隅においておくといいかも。卒業設計もそうだし。
東京計画1960
(画像・10+1web siteより http://tenplusone.inax.co.jp/monthly/2010/11/issue2.php )
丹下は1961年に丹下健三・都市・建築設計研究所を設立。同年、海上都市計画「東京計画1960」を発表します。
東京湾の上に巨大なハイウェイをドガーンと作り。
東京は、皇居(?)を中心とする中心型の放射状の都市ではなく、線形で並行なシステムになるべきである、という提案。
実現こそされなかったが、木更津と東京を結ぶアクアラインは間違いなくその影響を受けているだろう。都市の新陳代謝。METABOLISM
「建築がこれからの未来をつくるんだ」という、力強い自信を感じる。そういう時代だった。
代々木体育館
日本の近代建築にランキングがあるなら、これは間違いなく上位ベスト3に入るそうです。
瀬戸大橋に屋根をかけたような、吊り橋と同様の吊り構造の技術を用いており、屋根全体が吊り下げられています。観客を競技に集中させるために考案された「内部に柱を持たない」珍しい構造の建物、だそうです。
中はこんな感じ
東京カテドラル
HPシェルの象徴的表現
山梨文化会館
分散コア 幾つかの中心をつくり、それを廊下でつなげることで建築できるじゃん、って考えかた。
その後はしばらく海外で仕事をする。
で、大阪万博、会場マスタープラン
お祭り広場ドーン!
2 外傷的都市と失調的時間
広島平和記念資料館と、都市の先行形態とそのデザインについてのお話「先行形態論」都市のゴースト
中谷先生が大阪時代に、昔あった古墳の形が生き残っていることを発見した話。
中谷先生は、現在人の「なう」よりももっと長い射程で「なう」を捉えているのではないか。
「ろんぐなう」や「過去なう」のような。
中谷先生もこの辺は「オートポイエーシス」などを普通に使ってて、イケイケで聞いていて楽しかった。楽しくて難しかったため、あんまりノートとってない。
丹下健三
戦後の経済成長にシンクロしたのが丹下健三だった。
この図の交点が丹下健三です。タイミングもバッチリだった。
大阪生まれ
東大 コルビュジエに傾倒
風俗通いしてたとか、イケイケだったという話も。
東大で「丹下研究室」をつくり、槇文彦、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生らを輩出した。
丹下健三といえば、フジテレビや都庁が思い浮かびます。
しょっぱなから余談ですが、僕と丹下(都庁)の出会いは稲中卓球部です。小5。
今週、パスポートの更新に都庁見て、昨日、ゆりかもめでフジテレビ見ました。
都庁 かっこいい。
フジテレビ
国連大学
確かに、巨大ロボっぽいような気もします。
(余談おわり)
丹下健三の卒業設計を見る。
パースの真ん中に建物がない。門としての建築。建物に切り取られた何もない空間を主役にしていた。
学生のころからそれを意識していたのはすごいのでは。
1953 今はなき丹下自邸
木造のサヴォア邸みたいな見た目 かっこいいよね。とレーニン先生。
たしかに凛とした感じがするような気がする。
中心で構造を担保し、そこから広がるように構成するコアシステム 樹のよう。
丹下健三は、日本のあらゆる庁舎を作りました。
東京都(旧)庁舎・・は、画像ないので飛ばしまして、
香川県庁舎
一昨年の夏に自転車で四国まで行ったときに訪れました。
これもコアシステム。あとピロティもある。
日本建築の伝統である木造建築の木組みの美しさをいかにコンクリートで表現するか。
ジャジャジャジャーン!ここの梁の細さね!!雨水を流す管もうまく収納している。
コンクリートの梁は、当時の建築技術の限界の細さだったとか。
このあと出てくる広島平和記念資料館もピロティが出てくる。コルビュジエに傾倒していたということを頭の片隅においておくといいかも。卒業設計もそうだし。
東京計画1960
(画像・10+1web siteより http://tenplusone.inax.co.jp/monthly/2010/11/issue2.php )
丹下は1961年に丹下健三・都市・建築設計研究所を設立。同年、海上都市計画「東京計画1960」を発表します。
東京湾の上に巨大なハイウェイをドガーンと作り。
東京は、皇居(?)を中心とする中心型の放射状の都市ではなく、線形で並行なシステムになるべきである、という提案。
実現こそされなかったが、木更津と東京を結ぶアクアラインは間違いなくその影響を受けているだろう。都市の新陳代謝。METABOLISM
「建築がこれからの未来をつくるんだ」という、力強い自信を感じる。そういう時代だった。
代々木体育館
日本の近代建築にランキングがあるなら、これは間違いなく上位ベスト3に入るそうです。
瀬戸大橋に屋根をかけたような、吊り橋と同様の吊り構造の技術を用いており、屋根全体が吊り下げられています。観客を競技に集中させるために考案された「内部に柱を持たない」珍しい構造の建物、だそうです。
中はこんな感じ
東京カテドラル
HPシェルの象徴的表現
山梨文化会館
分散コア 幾つかの中心をつくり、それを廊下でつなげることで建築できるじゃん、って考えかた。
その後はしばらく海外で仕事をする。
で、大阪万博、会場マスタープラン
お祭り広場ドーン!
2 外傷的都市と失調的時間
広島平和記念資料館と、都市の先行形態とそのデザインについてのお話「先行形態論」都市のゴースト
中谷先生が大阪時代に、昔あった古墳の形が生き残っていることを発見した話。
中谷先生は、現在人の「なう」よりももっと長い射程で「なう」を捉えているのではないか。
「ろんぐなう」や「過去なう」のような。
中谷先生もこの辺は「オートポイエーシス」などを普通に使ってて、イケイケで聞いていて楽しかった。楽しくて難しかったため、あんまりノートとってない。
2011-02-06 16:05
コメント(2)
急に中谷先生なんて言ってたっけと外で気になったので、見にきました。
今度から拝見した時にはコメントします。
ろんぐなうおもしろいです。僕的にはa pileです。
by phory (2011-05-08 12:25)
あら、ほりいちゃん。
a pile?
by chihiro (2011-05-28 15:30)