近代建築史14 日本の住宅 1970年代以降 [建築の歴史]
今週でおしまい。最後は70年代。超不況の時代の建築(オイルショック、公害)
CAPTIVE UNICORN GREEN
60年に交差した日本近代とモダニズムの統合が再び離れ、関係なくなってしまう。
70年代。五月革命(学生運動)、環境汚染、原油価格の高騰。
そろそろ「近代ヤバいな」って気づきはじめた、そんな時期にでた二冊の本
「建築家なしの建築」
「ホール・アース・カタログ」(2010年2月号 の建築雑誌を読むべし。)
1 アンチ・モダニズム
2 反・形式主義
3 DIY志向
4 地域主義
↓(それらを前提した考え方が)
「ポスト・モダニズム」
危機。問題があるところには良い建築ができる。
Crisis is friend.
問題がなければいい建築はできない。
ものつくるときは危機じゃないといけない。危機じゃないならものつくるべきじゃない。
1 アンチ モダニズム
1972 毛綱モン太「反住器」
(画像 http://bit.ly/gsvYkU )
三つの立方体を三層の入れ子にした形。機能に対するカウンターパンチ。
安藤忠雄 「住吉の長屋 (1976)」
(画像 wikipedia.org/)
三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅。外に面しては採光目的の窓を設けず、採光は中庭からだけに頼っている。玄関から内部に入ると居間があり、台所や2階に行くには中庭を通らねばならない。(wikipedia)
大阪、長屋では傘さしてとなりの部屋行くとかはよくあること(って行ってた気がする。あんま覚えてない。)
藤井博巳 「宮島邸」
画像(http://20thkenchiku.jugem.jp/?eid=160)
グリッドのやつ。
鈴木恂 「KIH702 (1970) 」かっこいい!!
画像(http://msuzuki-ams.com/works/w_works/7004kih.html)
荒々しいコンクリートのフォルマリズム 太陽と建築
↑このへんがフォルマリズム。時間を止めたような感じ?
鈴木恂さんはメキシコに行ったあとから太陽の光を意識したとか。
2 セルフメイドムーヴメント 自分の手の届くレンジでどれほどまで作れるか
川井健二 「川井健二邸」
(画像 http://kubokenn.doorblog.jp/ )
石山修武「幻庵」
(画像 http://kubokenn.doorblog.jp/ )
石山修武の書いたアクソメ(立体図面)もレシピっぽくて、DIY精神が感じ取れる。
「開拓者の家」
画像http://bit.ly/gfgtSK
ジブリっぽい トトロ未来形?
3 地域主義
象設計事務所「名護市庁舎」1981
(画像 http://www.arch-hiroshima.net/a-map/okinawa/nago.html)
当時はエアコンなしの空気の流れによって空調をやろうとした。
その原型となるのが吉阪隆正
「セミナーハウス」1976
( 画像 http://www.ap-fd.co.jp/semina.htm )
建築家によって集落が出来るのか?という試み。
TANGLED UP IN GREEN
勇敢なモダーンは終わった。
自然といったものを如何にして展開するか。
で、もうすこし抽象的な表現に変わる。
原広司「原邸」 住居に都市を埋蔵する。家の中に街並みを作る。
伊東豊雄 「中野本町の家」
(画像 http://bit.ly/dTZqYw)
(画像 http://bit.ly/4ASDXv)
あいまいな形。壊れた後も、そのままの姿のような。人間がいない感じ。
山本理顕 「山川山荘」
(画像 http://bit.ly/hjeGls)
吹きっさらしの中に住居が分散して展開。森山邸の原型みたいなもの。
坂本一成「水無瀬の町屋」
画像( http://archiforum.exblog.jp/ )
中谷先生も大好き。近代建築史の中で一番好き?
駐車場と隣りの窓がちょっとズレてる。
こういうのはデザインして出来ることじゃない。
自然が作ったかのような、「ズレ」のセンスの怖さ。
これまでの近代建築の設計手法とはマッタク違っている。
篠原一男「代々木上原の家」
画像( http://bit.ly/gpRVpD )
「緑への認識」
人間のいない自然、対して、人間に快適な自然
人間に快適な自然
後期ゴシック、ピクチャレスク
ネイチャーがつくった建築っぽく
人間がつくった鋭利な建築が自然に埋没
そこにいる人々、楽しそう。
対して、人間がいない自然。
西沢立衛 と「切花」
(画像 http://www.ryuenishizawa.com/ )
玲瓏なきれいさ。奥のほうに幽霊がいそうな感じ
critical greenizm
藤森照信「ニラハウス」
(写真:増田彰久)
http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/0ia0/104120/
ジブリが持つ「ユートピア」と「デストピア」
自然が犠牲になってる。儀式的な建築
植物を「殺す」
宮崎駿さんの「こだま」と、霊の高さ
高杉庵 は霊の通り道?
鈴木了二 金毘羅 芝生のなくなった事で迫力のある建築ができた。
植物の持つ暴力性(屋久島行きたくなってきた)
我々の世界を取り巻く要素はなんなんだろうか。
建築が未だ扱っていなかった、霊性のようなものを考えるべきではないか。
最後に、
・EVERYONE IS AN ARTIST BUT FEW CREATE ART BILLY KLUVER
・建築家は資格ではない。周囲から認められた、あるいは自称の、ある活動の代象者である。
建築は動詞的なもの。構成方法。
それをいかにして捕まえるかに大学のこり2年間(あるいは4年間)が掛かっているのでは!
CAPTIVE UNICORN GREEN
60年に交差した日本近代とモダニズムの統合が再び離れ、関係なくなってしまう。
70年代。五月革命(学生運動)、環境汚染、原油価格の高騰。
そろそろ「近代ヤバいな」って気づきはじめた、そんな時期にでた二冊の本
「建築家なしの建築」
「ホール・アース・カタログ」(2010年2月号 の建築雑誌を読むべし。)
1 アンチ・モダニズム
2 反・形式主義
3 DIY志向
4 地域主義
↓(それらを前提した考え方が)
「ポスト・モダニズム」
危機。問題があるところには良い建築ができる。
Crisis is friend.
問題がなければいい建築はできない。
ものつくるときは危機じゃないといけない。危機じゃないならものつくるべきじゃない。
1 アンチ モダニズム
1972 毛綱モン太「反住器」
(画像 http://bit.ly/gsvYkU )
三つの立方体を三層の入れ子にした形。機能に対するカウンターパンチ。
安藤忠雄 「住吉の長屋 (1976)」
(画像 wikipedia.org/)
三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅。外に面しては採光目的の窓を設けず、採光は中庭からだけに頼っている。玄関から内部に入ると居間があり、台所や2階に行くには中庭を通らねばならない。(wikipedia)
大阪、長屋では傘さしてとなりの部屋行くとかはよくあること(って行ってた気がする。あんま覚えてない。)
藤井博巳 「宮島邸」
画像(http://20thkenchiku.jugem.jp/?eid=160)
グリッドのやつ。
鈴木恂 「KIH702 (1970) 」かっこいい!!
画像(http://msuzuki-ams.com/works/w_works/7004kih.html)
荒々しいコンクリートのフォルマリズム 太陽と建築
↑このへんがフォルマリズム。時間を止めたような感じ?
鈴木恂さんはメキシコに行ったあとから太陽の光を意識したとか。
2 セルフメイドムーヴメント 自分の手の届くレンジでどれほどまで作れるか
川井健二 「川井健二邸」
(画像 http://kubokenn.doorblog.jp/ )
石山修武「幻庵」
(画像 http://kubokenn.doorblog.jp/ )
石山修武の書いたアクソメ(立体図面)もレシピっぽくて、DIY精神が感じ取れる。
「開拓者の家」
画像http://bit.ly/gfgtSK
ジブリっぽい トトロ未来形?
3 地域主義
象設計事務所「名護市庁舎」1981
(画像 http://www.arch-hiroshima.net/a-map/okinawa/nago.html)
当時はエアコンなしの空気の流れによって空調をやろうとした。
その原型となるのが吉阪隆正
「セミナーハウス」1976
( 画像 http://www.ap-fd.co.jp/semina.htm )
建築家によって集落が出来るのか?という試み。
TANGLED UP IN GREEN
勇敢なモダーンは終わった。
自然といったものを如何にして展開するか。
で、もうすこし抽象的な表現に変わる。
原広司「原邸」 住居に都市を埋蔵する。家の中に街並みを作る。
伊東豊雄 「中野本町の家」
(画像 http://bit.ly/dTZqYw)
(画像 http://bit.ly/4ASDXv)
あいまいな形。壊れた後も、そのままの姿のような。人間がいない感じ。
山本理顕 「山川山荘」
(画像 http://bit.ly/hjeGls)
吹きっさらしの中に住居が分散して展開。森山邸の原型みたいなもの。
坂本一成「水無瀬の町屋」
画像( http://archiforum.exblog.jp/ )
中谷先生も大好き。近代建築史の中で一番好き?
駐車場と隣りの窓がちょっとズレてる。
こういうのはデザインして出来ることじゃない。
自然が作ったかのような、「ズレ」のセンスの怖さ。
これまでの近代建築の設計手法とはマッタク違っている。
篠原一男「代々木上原の家」
画像( http://bit.ly/gpRVpD )
「緑への認識」
人間のいない自然、対して、人間に快適な自然
人間に快適な自然
後期ゴシック、ピクチャレスク
ネイチャーがつくった建築っぽく
人間がつくった鋭利な建築が自然に埋没
そこにいる人々、楽しそう。
対して、人間がいない自然。
西沢立衛 と「切花」
(画像 http://www.ryuenishizawa.com/ )
玲瓏なきれいさ。奥のほうに幽霊がいそうな感じ
critical greenizm
藤森照信「ニラハウス」
(写真:増田彰久)
http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/0ia0/104120/
ジブリが持つ「ユートピア」と「デストピア」
自然が犠牲になってる。儀式的な建築
植物を「殺す」
宮崎駿さんの「こだま」と、霊の高さ
高杉庵 は霊の通り道?
鈴木了二 金毘羅 芝生のなくなった事で迫力のある建築ができた。
植物の持つ暴力性(屋久島行きたくなってきた)
我々の世界を取り巻く要素はなんなんだろうか。
建築が未だ扱っていなかった、霊性のようなものを考えるべきではないか。
最後に、
・EVERYONE IS AN ARTIST BUT FEW CREATE ART BILLY KLUVER
・建築家は資格ではない。周囲から認められた、あるいは自称の、ある活動の代象者である。
建築は動詞的なもの。構成方法。
それをいかにして捕まえるかに大学のこり2年間(あるいは4年間)が掛かっているのでは!
2011-02-06 19:18
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