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近代建築史その3「新古典主義と均質な世界」 [建築の歴史]

1700年代に世界では何が起こったか。
1775年からアメリカ独立戦争が始まり、1789年からフランス革命が起こった。変革の時代に建築では何が起こったか。新古典主義

「古典」という日本語を作った西周という天才。「哲学」「藝術」「理性」「科學」「技術」も西周が作った。古典=古さの典(型)=様式
新・古典とは、再び繰り返される古さのタイプ。ルネサンス以降に歴史が反復されることが言葉でも分かる。

新古典を見ていくまえに、その前の流れを見ておく。
先週バロックの運動性と多中心(楕円の焦点)による世界の構造を見た。
その後、イタリアで花開いたバロックがスペイン・ポルトガルに伝わり、過剰な装飾が発展する。
スペイン・ポルトガル周辺における様式の付加性。田舎にある派手な看板と変なラブホテル。ある形式が伝わる過程で、田舎の価値観が付加されて超ダサくなる、よくある超常現象。16世紀は大航海時代だったゆえ、植民地のメキシコや南米、フィリピン等へ広まった。海を越えた。周縁でさらに派手に(過剰な装飾、極端な造形、鮮やかな色づかい)になった様式を「ウルトラバロック」っていう言うらしい。材料も現地のだし。
大学1年生の夏にメキシコ行ったときに「ヨーロッパぽいけど何か違う」と思っていた背景が分かった。中谷先生はあんまり好きじゃないって言ってたけど、僕はメキシコのカテドラルとか好きです。
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メキシコのカテドラル。朝よく見てた。カテドラルの裏通りは治安が悪い。

そのころフランスではロココ。漫画ハチクロで竹本を苦しめたロココ
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バロックにおける奥行きのある過剰な装飾を平面に圧縮したもの。焦点が定められない。
雲。モコモコ。ロココは特殊すぎてややこしいからこの授業では深追いしない。
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ロココと石上純也 「重力にさからうというテーマ」無重力状態への「心意気」が共通点としてある。糸のように細いカーボンファイバーの柱が24本並ぶ、幅、高さ約4メートル、奥行き約13メートルの仮設建築。石上さんは「Architecture as Air(空気のような建築)」ロココは「軽く薄く、でも装飾は絢爛に」。正規ゴシックから後期ゴシックへの過剰な装飾、そのあとロココで力が抜けた運動。しかし結局また飽きてくる


いよいよ
新古典主義=ネオ・クラシシズム「ここに世界あり」
British Museum from NE.jpeg
大英博物館
ジャイアントオーダー(パーツでかい)。三階までぶち抜きの柱。ギリシャ・ローマの再来(ルネサンス=classizm)の再来。三周目の様式。ロココが過剰な装飾性や軽薄性、官能性の時代だったから、エロの反動として、次はもっとまじめで厳粛なキチッとした感じなったのか?エロは再び繰り返される。モダニズムは、ネオ・ネオ・クラシズムにあたる。

時代 反復する様式の分類は主に二つ

1 普遍性を求める 原理的、プリンシプルな構成原理、だれにでもわかるような。ズバリ、ルネサンス
2 固有性を求める ゲルマン的なものなど、土地性や、固有の性質にこだわる。バロックがそれ。
周縁にいけばいくほど、中心から離れるほど過剰になる。ネオ・クラシシズムは1の「普遍性を求める」方。当然ウルトラバロックは「固有性を求める」ほう。様式が相対化する。ぼ300年くらい生きてたら、「また藤本かぁ」みたいになる(笑)
「様式は死なない幽霊のようなものだ」


新古典主義の頃の背景
啓蒙時代としての18世紀。革命と啓蒙。啓蒙は世界同時多発的に起こった。職人的イタリア、おしゃれフランス、カントのドイツ、イギリスへ。国民国家。当時の日本は「藩」の時代から「日本」が出来た。「国学」という(日本をよくしようという)右翼思想。国単位としての統一とか、フランス革命。王を殺して、あらたに「国家」ができる。知識を共有しよう、という動き。みんな頭よくなろうぜ!という時代。哲学や科学が発展。当時のヨーロッパの識字率は20パーとかそこらだった(日本すごい)。「国語」というものを原理的に作る。日本語の五十音順は本居宣長が作った。メディアによる知識の解放。国語辞典ができたり。ダブララサ、すべてを白紙へ。百科全書の登場。「これは世界です」という平面的に世界を再配列しようとする考え方。

ショーの製塩工場 クロード・ニコラ・ルドゥー
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Arc-et-Senans - Plan de la saline royale.jpeg
平面図
中心に工場があって、円周上にはたらく人の住居がある。「工場も建築だ!」というエンライトメント。バックヤード(裏庭)まであるのが秀逸。そこで家庭菜園した。どうやったら共同体がいきていけるのかというのを構想した。超・妄想力。ある種のユートピア。正面の入り口はグロッタ(洞穴)=時空を超えて、不思議の世界への入り口。柱がレゴみたいにオセロを積み重ねたような、薄い円柱と四角い薄い柱の連続。外見に比べ中はボロい。レンガむきだしみたいな。外側と内側のギャップ(=感動する建築の条件のひとつ)マニエリスムと違うのは、遊びすぎてないとこで、大人な感じがある。成熟してる。中心、市民、菜園(畑)が放射状に成立していく。まさにハワード田園都市の縮図みたいな感じ。菜園の菜の花の感じとか、不思議の国っぽい、ユートピア的な感じあるなあー。周囲から隔絶した理想都市、のちのハワードの田園都市構想とかにも繋がる感じ。ちょっと誇大妄想な感じが怖くもあり面白い。

ルドゥの描いたドローイング
旅館、修道院、使用人の家、はては平面図が男性器の形をした売春婦の宿(笑)、etc... 建築学生みたいに、さまざまなビルディングタイプを考えて提案しまくる。幾何学に頼って作られている。お台場のフジテレビみたいなのもあった。さまざまな人間社会に形を与えようとした。革命期の建築家はやっぱりどこかラディカル。

フランス革命に従事した可哀想な建築家・ブレ 
円錐状の死者の記念堂(写真なし)。ローマのビラアドリアーノのモチーフの上に巨大な円錐をのっけちゃう。断面がすばらしい。
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ニュートン記念館 ニュートン記念館も断面が球体で、昼はプラネタリウムで中に夜を表現し、 夜は中央の光源を囲むように衛星を配置して宇宙を表現。 (注:実在しません) まとめ 1網羅性 あらゆるものをデザインしようとした。 2幾何学性 丸とか三角とか、原理的な設計手法 3理想一世界 ユートピア的なもの そして 4建築史学の発達が関与 建築史の始まり エコール・デ・ポザール(フランスの美術学校)と、エコール・デ・ポリテクニーク(フランスの理系エリート学校)の思想について(ちなみに、ドガ、モネ、ルノワールはポザール出身で、ポアンカレ、フレネル、アンペール、ポアソン、カルロス・ゴーンはポリテクニーク出身) 藤村龍至さんの、判的工学主義もはポリテクニーク的。村野藤吾はポザールで、吉阪隆正さんはポリテクニークらしい 工学主義と批判的工学主義みたいなもん(あんまり分かってない) ・フィッシャー・フォン・エルラッハ「歴史的建築の構想」 (ルドゥはエルラッハを見て「すげえ!俺もやったろう」って思ったに違いない) ファイル-Essaisurlarchitecture.jpeg ロージェ「建築試論」(ルドゥはこれを見て「やっぱりやりすぎは良くない」って思ったに違いない)初源の小屋。建築は四本の樹に柱が立てかけられられたシンプルなもので、オーダーなんていらないシンプルなものよ、と。オーダーが右下に追いやられている。しかし、こんなに都合よく四つ角に樹が生えてないだろう。 ken_hikaku350.gif デュラン「集録」ギリシャからルネサンスまでの建築を等価値に並べる。 グラフィックが格好いい。その背景にある百科全書(フランス)知識解放。フランス革命期はいろいろクールなことがおこった。百科全書はインターネットの発明みたいなもの。デュラン=ジョブス説? ドイツ、ベルリンの遅れたルネッサンス なんとなく新古典主義を実現した、カール・フリードリヒ・シンケル 住居における、アシンメトリーの採用 Berlin-old-museum.jpeg アルテス・ムゼウム アンビルド案のドローイングがすごい。「今は建たずとも、いつか実現できるだろう」という、当時のドローイングの影響力。ある世界の固定が18世紀の建築家のドローイングだった。理想世界を表す時間的固定の中で、建設行為はそのヴァリエーションである。というのが当時の建築家の姿だった。影響力すごい。やはり啓蒙で革命思想。 ルドゥやシンケルは妄想ばかりしていたが「妄想」がちゃんと「構想」になっている。実際に作っている。そのエネルギーがすごい。メタボリズムって今見るとダサいけど、黒川紀章は実際にカプセル作ったし、菊竹清訓も作ってる。世界を構想しながら実際にどんどん作る姿勢にエネルギーがあって尊敬する。

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