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近代建築史7(モダニズムの平面、20世紀芸術運動と極北の建築家) [建築の歴史]

(この文章は、中谷先生の近代建築史の授業メモと、自分で調べたことと、自分の意見や思いつきを分けずに書いているので、情報が正確でないこともあります。あしからず)

1 モダニズムの平面

ルネサンス以降、様式は繰り返された。ギリシャ・ローマが反復され、それが飽きられ、問い直され、新しい楕円の運動が起こった。革命期には理想世界の建築が描かれた。建築史学の発達に伴う様式のカタログ化が起こり、複数の様式を取捨選択できるようになった。18世紀は産業革命と万国博覧会の登場により今までの様式に縛られない新しい建築が生まれたが、それは温室の発展型だった。

様式建築の位置は下がり、様式は装飾化した。スタイルではなくアクセサリーのように、パーツで交換可能なものになった。しかし、いざ様式を選択するときに、私達はどうやって様式を比べて選ぶのだろうか。

問)本来比べられるはずのない、様式を比較可能にさせるものは何か?
→答)共通の基準平面を設ける。

同じ皿の上にの置いてしまうということ。リンゴと腕時計は比べられないけれど、質量という基準に即すれば比較可能になる。生徒を同じ教室に入れてテストを受けさせ点数をつければ一枚の紙で比べられるようになる。それでは、その基準となる平面は一体何なのだろうか。その均質な皿(平面)が、モダニズムである。様式の装飾化の背後に見いだされた均質な空間価値こそが、モダンな空間の発生。
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それまで自分たちもこの平面の上に立っていたが、メタな視点を獲得することで比較可能になる。そのときの基準平面がモダニズムである。以後、皿の上の様式ではなく、皿そのもの、つまり新しい価値基準を作ろうとする動きがモダニズム建築の運動になる。

(だからモダニストは過去の様式を清算したいし、世界は新しいモダニズムスタイルで統一されると信じていた。モダニズムの運動が新しい平面づくりの運動であるのは間違いないけれど、その考え方が正しい訳ではない。例えば、村野藤吾は四角いモダニズムらしい建築も作っていたけれど、折衷主義的なやり方で様式建築も作っていた。村野は、モダニズムが提唱するような建築デザインも、またひとつの「様式」であるとして特別扱いしなかった。)(そんなことを長谷川堯さんが言ってた)

2 貨幣とモダニズム建築の運動の類似性

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

  • 作者: 浅田 彰
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 1983/09/10
  • メディア: 単行本


浅田彰の「構造と力」から貨幣の起源について

1 ) 世界に2人しかいない場合
物々交換、もしくは、やるかやられるかの世界

2 ) 3人以上の場合
物々交換の市場が発生する。しかし食べ物は腐るし重たいしので、安定した物々交換をするために価値を肩代わりするもの、貨幣が生まれた。世界を安定させるために王と貨幣が生まれる。

やがて革命が起きて王が死んで、貨幣だけが特権的な位置を占めるようになる。
資本制社会のはじまり。やがてお金を動かすことによってお金を得ようとする動きが起こる。そのブームが弾けとんだのがリーマン・ショックからの世界金融危機。

建築に戻ると、それまで物々交換していたのが、まさに貨幣が生まれようとしているところ。建築は様式の物々交換をするまでも長かったんだけど、貨幣が作れると知ったのなら、様式は皿の上の商品だから今さら作ったってもうダメです。資本家は、世界を律する基準の発見(新しい貨幣作り)をしなければいけない。

というわけで、実はいくつものモダニズム(貨幣=新しいものさし)が作られた。
「お金は信用」ゆえ、みんなに信用されれば牛乳ビンの蓋でさえ貨幣になりうる。
新しい基準づくりの覇権争い。それに勝ったのがミース、コルビュジエ。

3 様々な価値の創造

アメリカ的な新世界と、前衛芸術の動画の対比

To New Horizons

1940年にGeneral Motorsが60年代を予想して作った未来の映像。アメリカ開拓から未来までが映像化されている。すげえ良いセンいってる

ルネ・クレール Entr'acte 1924 それと極地にいるアバンギャルド(前衛)映画
フランシス・ピカビアが原案と美術、エリック・サティが音楽、出演者にはマン・レイ、マルセル・デュシャンといった超・豪華な顔ぶれ




モダニズムの中で、世界各地で、地域通貨が多く誕生した。
「歴史の数少ない(笑)いいところは、建築をとりまく地図が描けるようになること。」全部をマッピングしなくても極を数点描けば他の可能世界も見えてくから、モダニズム建築家の中でも、極北、つまり遠くにいっちゃった人を紹介する。なのでフランク・L・ライトとか村野藤吾とかは、好きだけど今回はやらない。いやむしろやってほしい!(ライトと村野で90分やってほしいです)

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建築とその背後の芸術(サロン文化)建築家は芸術家と付き合いがあった。
背後の芸術も一緒にしてみていく。

なぜ1900年前半はこんなにも多用な才能が爆発したのか。基本的に苦しい時代に素晴らしい芸術作品がうまれるそうで、やはり第一次世界大戦(1914-18)のカタストロフが与えた影響が凄かったのではないか、と。それ言われると今も超ピンチだからこれからいい建築出てくるんじゃないかなんて思ってしまう。震災で宮城の友達の同級生はうつ病が治ったそうなのだけど、震災で建築の方向も絶対変わるだろうし、どうなんだろう。

3ー1 ミース(ミースはやっぱアメリカドルでしょう!)
ミース・ファン・デル・ローエ Ludwig Mies van der Rohe、1886-1969
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1921年 フリードリヒ通のビル(案)
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現在のビルディングタイプである、平面が垂直方向に永遠に積み重なる考え方の提示。
問題は、これを超える空間を我々が提示できないということ。1921年に一気にここまで来てしまった。敷地を考えることなく展開可能であり、資本主義的な考え方に即している。

ミースのドローイング(立面図)の過激さ
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フリードリヒ通のビルの立面図(画像:http://d.hatena.ne.jp/roadrunner0369/
左下のゴミみたいなやつが人です。多分・・
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マレーヴィチ「黒い正方形」

それから40年後に「シーグラム・ビル・ニューヨーク」(1958)で高層ビルのプロトタイプを建てる。去年見てきたけど、めちゃめちゃかっこよかった。
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実現は60年だけど、その考え方は40年前からあった。
その背景にシュプレマリズム(絶対主義)がある。
マレビッチ「白の上の白」(1918)「Less is More」の精神の背景。
僕、カンディンスキー好きだし、抽象表現、面白い。
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ミース、シュプレマティズムの特徴は、徹底した抽象性と、構成(composition)にある。
今までは抽象性のミースを見てきたけど、コンポジションのミースも凄い。

「壁量さえ変わらなければ建物は建つ」という、構造の素朴なルール
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四角形の各辺を少しずつずらして、閉じない空間を作る。「壁量さえ変わらなければ建物は建つ」というルールに則った構成操作。それだけの操作で豊穣な空間が生まれる。
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単純であるが故に、ものすごい発明だった。小さな変化で大きな効果を。「この考え方で一度住宅とか作ってみるといいよ」と中谷先生。楽しそう。

このアイデアが実現されたのが、ミースの集大成であり、バルセロナ万博でドイツの威信が掛かって作られたバルセロナ・パヴィリオン

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ミースは、既存の箱形の家のかたちにちょっとした「形態操作」をすることにより、まったく新しい空間を作った。
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平面図。壁が再配列されている。

ミースは建物だけでなく、柱の形さえ構成操作した。
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壁量を変えずに作った十字形の柱

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ミースの特徴の3つめは、人間がいないということ。構成の手法に人間らしさを感じない。
バルセロナパビリオンも、基壇を作って地面から建物を切っている。大地を縁を切ることによって全く異なる水平な世界を作った。だから神殿っぽい。

ファンズワース邸
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画像:http://designersmansion.info/mies_info.aspx
どう見ても独身女性が一人で住めるとは思えない(笑)
そもそもミースは基本的には人間のために作っていない。
ガラス張りのファンズワース邸、お寺だと考えればいい。

ミースは石工の息子だったゆえの職人的な建築言語を持ち、物質への執着がある。
バルセロナパビリオンの基壇と全く同じ石材がシーグラム・ビルでも使われている。

マレーヴィチ Supremus No.58
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(徹底した抽象性)+(構成)−(人間)=(ミース)

ミースかっこいい!!



3-2  アドルフ・ロース(1870-1933)
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ミースよりもひとつ上の世代で、ミースに比べるとずっと人間らしい。人間らしいというのは、人間にとってあるべき空間というものを根底から考えていたということ。「装飾は犯罪である」という宣言が有名。「装飾やめやがれ」という言い方が江戸っ子らしい過激な物言いだった。ウィーンだけど

装飾やめろ、というのは果たしてどういうことなのか。

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外観はシンプル、というかほとんど何もしていないのに比べ、室内は豊穣な空間ができている。階段と部屋が一体となったような複雜なスキップフロアの住宅を展開していて、部屋ごとに高さが違っている。これはロースが人間の器官の拡張として内部空間を考えていたから。ロースは「洋服と建築は同じだ」と言っていたらしく、人間を包む膜が拡大されるように空間を捉えていた。要はインテリアしかない。ラウムプランは身体性の拡張としての仕組みだった。

ロースは、ダダイズムと関係があった。
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ピカビア ConversationⅡ

ダダイズムは、1910年代半ばから、スイス・チューリヒを中心に世界各地で起こった既成の芸術への対抗活動。当時の合理主義を否定・破壊しようとした。「ダダ」は赤ちゃんの鳴き声がヒントになっている。1920年以降はシュールレアリズムに吸収される。首謀者のトリスタン・ツゥラの家をロースが作った。ロースの作家性とダダイズムがどう関係しているかはうまく説明できないのだけど、当時の合理主義を否定しようとしていた心意気は一致しているか。モダニズム派の空間思考のプロセスが、「構造システム→空間→住み手の行為」という合理的なステップをとるのに対し、ロースはその逆で、「住み手の行為→それに対応する空間→それを支えるものとしての構造」をとっている。なぜなら身体の拡張だから。

身体の拡張としての建築と聞くと、荒川修作を思いします。荒川さん好きです。

荒川さんは「人間は死なない」って言っていて、どういうことかというと、
「死ぬこと=意識がなくなること」と定義したとき、意識を作る要素は自分の外にもあって、そうすると意識が先にあって周囲を認識するのか、環境が先にあってその中にそう認識するような意識があるのか分からなくなる。後者を立場をとると環境だって自分の一部だと考えることができて、意識が偏在しているのならば簡単には「死なない」ことになる。
(池上高志さんが「20歳の君へ」のインタビューでこんな感じの話をしていた)

映画「死なない子供、荒川修作」のDVDが出たので誰か買って


ロースがウィーンにいた事が重要である。と中谷先生。

ドイツ・オーストリアは、イギリス・フランスに比べて発展が遅かった。そのため国内で近代化が起こるのではなく、外部であるイギリス・フランスから近代化がやってきた。近代化という外圧が一方であり、もう一方で地域の伝統がある。そうすると、外部からやってきた産業構造の転換と、国内の伝統をどうやって統合するか、その矛盾に悩む。周縁の国は皆そうなる。日本も同じ。悩む!葛藤があるだけに面白い発展を遂げるから、周縁の国のほうが旅行していて面白いのだそうです。(イギリス・フランスの建築家は地域の固有性とかはあまり気にしなかったのだろうか。そんな訳ではないだろうけど、時代のトップランナーだったから、それよりも普遍性のある建築を追求したのだろう)


3-3  ル・コルビジェ もちろんUSドル。とにかく決めまくった人。蓮舫。
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ミース、ロースがイっちゃった人だけど、コルビジェは現代に展開可能な感じがする。
雑誌を作ったり、メディアへの意識のある建築家でもあった。

「コルビュジエは全般的に天才だったわけですが、彼のやってきたことを振り返ります。彼は社会性も妥当性も芸術性もあった。もともとは画家でもあった。キュビズムの影響をかなり受けている。」

ソヴィエトパレス設計競技案 (1932)のCGを見る。探したけど無かった
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画像: http://www.asahi-net.or.jp/~wu3t-kmy/1_prolog/xcorbu.htm

1万5千人収容の大劇場と多目的ホールを両翼に持った複合施設。大劇場の屋根は放物線アーチからワイヤーで吊られている。構造を外に持ってきて、屋根を釣っているため柱が全くなくて壁もほとんどガラスの劇的な内部空間が生まれる。コルビュジエのファンの丹下建三は広島ピースセンターでアーチを真似している(吊ってないけど)吊り構造は、シャンディガールの国会議事堂で部分的にやってるいるし、丹下も代々木でやった

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広島ピースセンター コンペ案 実際に出来たアーチはもっと小さい

コルビュジエはについては「ギリシャ建築とル・コルビュジエ」で授業ノート書いたのでそちらもどうぞ

鉄筋コンクリートのドミノシステムを1914年に発表
雑誌つくる(メディアを作った初めての建築家)
建築国際会議(CIAM)
五原則 啓蒙活動など、幅広い活動
コルビュジェで20世紀の「建築における言語」が出尽くした。

1930年には、低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとする「輝く都市計画」案を発表。高層ビルを作って空いた場所で共有できるじゃないか、と。集合体のあり方について考えていた

ドミノハウス
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本来は復興用住宅として考えられた。
構造は柱とスラブ(床)が担保している。
よって、住民が壁を勝手に作ることができる。

「これ俺が壁つくったらどうなるかな?」と考えたコルビュジエ。
そのときに生まれたのが近代建築の5原則
1. ピロティ
2. 屋上庭園(実際あんまりないのでは?)
3. 自由な平面
4. 水平連続窓(5の一部だから、原則にする必要ない気がする)
5. 自由な立面

5原則をすべて網羅したらしいのが、代表作の「サヴォア邸」
ドミノシステムを自動車の動線に展開している。
水平な窓は、室内から室外の屋内庭園まで連続的に繋がる。

問)スロープと螺旋階段が二つあるのは、なぜなのだろうか?

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スロープと螺旋階段 = 直線と曲線のコントラスト。→これこそキュビズム。

スロープ ゆっくりすすむ
螺旋階段 はやい

時間空間の違う装置であるスロープと螺旋階段を隣に配置する。
これこそがコルビュジエで、違うシーケンス、異なる言語をバシッと合わせた。
その背景にあるキュビズム
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Pablo PICASSO Still Life: Candle, Palette, Bull's Head 1938

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Georges BRAQUE The Blue Tablecloth 1938

キュビズムは様々な角度からの視点を1つに統合しようとした。
異なるものが併存している感覚がコルビュジエにはある。絵と時間。
映画的な編集感覚をモロにうけている。

スロープは自動車で、螺旋階段は飛行機。
自動車の時間、飛行機の時間、人間の時間を統合した。ここが凄い。これはミースにはできなかった。(ちなみにミースは時間を止める!)

5原則を適用したマルセイユの集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」
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画像 http://yyab.exblog.jp/9186284/ 船の部屋の構造を応用した。住みたい。

その後 1955 ロンシャンの礼拝堂 造形大爆発
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大学三年で初海外旅行にいった中谷先生 ロンシャン まじ感動した 
うすく、うすーく、という流れを逆転させた。壁厚1mほど。

1960 ラトゥーレット修道院 集大成
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中谷先生がパスポートを無くした場所
ル・トロネ修道院が元ネタなんだとか。世界をいかにして調律するかという思想があった。

「多くの技術を統合する職能」建築家と呼ぶなら、コルビュジエはその意味で一番建築家であるように思える。今は <技術> のところに何を代入するのかということも問われているが、まずはバランス感覚が大切。将来、美術館を建てることはなくても、そのバランス感覚を身につけるために、設計課題をやっている(ということに最近気づいた)

ちょうど読んでたアラヴェナのインタビューから一部抜粋
「(中略)もし建築に何らかの可能性があるとしたら、それは総合する力なのだと考えています。そういう意味で、我々は建築の最も重要な核と常に向き合っているという自負があります。デザインの力というのは、複雑な問題を複雑さを保ったまま、過度な単純化を避けつつ扱うことができ、かつ結果的に実社会で使えるものを生み出せるというところにあります。(中略)」
http://www.toto.co.jp/designsolution/special/vol36/index.htm


3-4 アントニオ・サンテリア(イタリア)と未来派

未来派(Futurismo)は、過去の芸術の徹底破壊と、機械化した近代社会のスピードを称えるもの。イタリア・ファシズムに受け入れられ、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美したり、女性差別などがあった。

スピード!!もっともっと速く!

「われわれは、世界の唯一の健康法である戦争、軍国主義、愛国主義、無政府主義者の破壊的な行動、命を犠牲にできる美しい理想、そして女性蔑視に栄光を与えたい」(未来派宣言)マリネッティ、ヤバイな。

アントニオ・サンテリア「新都市」と題された、工業・機械化された未来の都市が描かれた16枚のドローイングを発表する。
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高層ビルや発電所が中心に描かれる。「けっこういい線いってる」とレーニン先生。
「新都市」については鵜沢隆さんが註釈をつけた原寸カラーの本が売ってるけど、55000円。結局、サンテリアは総帥マリネッティに駆り立てられ、実作を作ることなく、第一次世界大戦で戦死した。


3-5 タトリン、リシツキー、メーリニコフ、ロドチェンコ

ロシア構成主義

ロシア革命を背景とした新芸術運動、ロシア・アバンギャルドは1910年から1920年のわずか10年間は栄えたが、1922年のスターリンがソ連のトップになり「難しい芸術ダメ!」となって抑圧され、1930年代に終息した。産業や労働と結びついた新しい芸術のあり方。
ロシア構成主義は、幾何学的で、立体的で、とにかく新しい。びっくりするくらい新しいのである。未来派はただのふざけた人たちだけど、ロシア構成主義は真面目に社会を変えようとしていた。

・タトリン 第三インターナショナル塔案
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タトリンのこの案は実際には建設されることはなかったが、
この高さ400mの、斜めに渦巻いた螺旋のタワーにはすごいエネルギーを感じる。
「来年の建築展(早稲田の仮設建築つくるグループ)では、これ作ればいいじゃん」(笑)
1/100スケールでも4m(笑)

・リシツキー(グラフィックデザイナー)「雲の鐙」(案)合成
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(写真:http://d.hatena.ne.jp/m-tz/20100107 三松幸雄さんのブログすごい詳しい)
最初は基礎の克服、大地への束縛の克服を考えていたが、そのうち重力そのものからの克服を目指していった。無重力系建築。

・メーリニコフ(建築家)「ルサコフ・クラブ」
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http://subtilitas.tumblr.com/post/2060898823/konstantin-melnikov-rusakov-workers-club

ロシア構成主義は斜めが好き。空中に浮かぶやつも好き。

ロドチェンコ タイポグラフィとかやった。
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ロドチェンコのポスター

無重力系を理想としていたロシア構成主義は、当然ながら宇宙と親和性があった。

アポロ・ソユーズ・テスト計画
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ソ連(右側)のこの自由な造形を見よ!

1975年7月、冷戦のまっただ中に、米国のアポロ宇宙船とソ連のソユーズ宇宙船のドッキングが行われた。米ソ両国が宇宙計画において初めて手を結んだ計画。アメリカのシャトルは流線型から抜けられずにいる中(とはいえ発射するときは空気抵抗があるか)ソ連のシャトルは宇宙人みたいなかわいらしい形をしている。冷戦中だったからなのか、ジョイント部の形が違う。アメリカはねじ込み型、ソ連はガッチャンとはまるような形。だからわざわざアダプターが用意されている。共通のジョイント部にすればいいのに・・。




3-6 バックミンスター・フラー

地球は有限だということを初めて言った人。(以下、来週の授業で)


4 おまけ

建築家マッピングの極北の人たちを、さらに独断でマッピング。

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Y軸が、多くの人に認められたかどうか。
X軸が、美が人間に近いか、遠いかという軸です。どうすかね

「建築史は、スクール・オブ・ロック。悪い事おしえている。」

来週から日本の建築にいきます。

設計やらなくちゃ!
コメント(3) 

コメント 3

さすがの

装飾は「罪悪」であるだよ
by さすがの (2011-11-28 21:14) 

chihiro

おお、指摘ありがとう。
Ornament and Crime の Crimeをどう訳すかかなあ。
おれは犯罪でいいんじゃないかと思いまする
by chihiro (2011-11-29 00:38) 

レーニン

犯罪と訳すのが流行り
by レーニン (2011-12-02 23:43) 

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