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第2章 永遠を求めて エジプト、メソポタミア、クレタ [美術の物語]

第一章を書いてからひと月が経ってしまった。未だ早起きは確立していない。。ダメダメだ。
ともあれ7時に起きて毎日このブログを書くことを改めて目標にします。これは楽しいから。

第二章はエジプト美術について。
「墓は語るか」のテキストで岡崎さんは「墓の両義性」(これについてはまた)について述べていたが、少なくともエジプト美術は「死者のため」にあるものであった。なぜなら生きているものが誰ひとり見ることが叶わないからだ。テキストを見てみよう。
エジプト人の信仰では、死後の魂にとって遺体を保存するだけでは不十分だった。王の肖像もいっしょに残せば、さらに確実に王は生きつづけることができると考えられていた。そこで彫刻家に命じて、固くて風化しにくい御影石で王の頭頂部を彫らせ、それをだれの目にもふれない墓室に納めた。墓のなかではまじないが働き、肖像を通じて魂は生きつづける。現にエジプトでは、彫刻家は「生かしつづける者」と呼ばれた。(中略)その厳粛ですっきりした感じは、一度みたら忘れられない。(中略)人間の頭部の基本的に形が、厳しいまでの集中力で追求されているからだ。 (ポケット版50-51p)
ゴンブリッジはエジプト美術に見られるこうした特徴を「幾何学的な調和と鋭い自然観察のバランス」としている。「きれいさでなく完全さ」が求められたのは、その目的が「死者のため」であり、死後の王に仕えることができるものを(おそらく描いたものが具現化すると考えていた)描ききる必要があったからだ。

「観察と抽象化」これこそデザインの基本だと思うんだけど、こうした技術が5000年前から存在していたこととがびっくり。いきなりすごい技術が登場した!というか、設計演習Aで少しずつ習得した技術が、最も古いとされるエジプト美術で非常に高度なレベルで達成されているところとか。。
しかもそのスタイルは3000年近くも続いたという。かの巨大なピラミッドの建設にしても、はたまた一神教の存在にしても、人間を遥かに超えるスケール感がクレイジーに思えてならない。けれども永遠に続く砂漠と焼きつくような太陽の下では、「私たちより圧倒的に大きなもの」を想像せざるをえないのだろうか。

以下では本書で語られていたエジプト美術の特徴をまとめるが、つまるところ「そのやり方は画家の仕事というより地図作りに似ている」という言葉に集約していると思う。
・死者の魂以外、だれも見ることはない
・はるか昔は有力者の死の際には召使いや奴隷も(あの世でのお供として)埋葬される習わしがあった
・その身代わりとなる像(イメージ)が彫刻やレリーフといった美術品だった
・人や木や動物など、その特徴がもっともよく分かるような角度から描く
・人間からどう見えるかは重要でないため、遠近法は用いない。データ化。
・重要な人物は大きく描かれる
・画家たちは壁に直線の編目をつくるところから始めた(方眼用紙)
・鳥や魚はいまもその種類を識別できるほど細部にいたるまで正確に描かれた(知識を描く)

生きている人は誰ひとり見ることが許されないからこそ、誰が見ても理解できる工夫が必要となった。永遠をもとめて、誰よりも他者のために作られた美術。それはある意味で地図よりも客観的だ。
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