近代建築史12「空白のメダイヨン 明治建築の成熟と崩壊」 [建築の歴史]
「空白のメダイヨン 明治建築の成熟と崩壊」
今日は明治時代に作られた建築をやります。堅苦しそうに見えるけれど実は面白いのが明治建築。例えば国会議事堂や、東京駅などの公共建築です。
公共建築は、建築家しか作れません。当たり前のようですが、もし公共建築を作りたかったら、建築学科に入学して、建築士の資格を取得しないとダメです。
だから、建築学科に入った理由は「建築家になりたい」よりも「公共建築をつくりたい」というほうが動機としてある意味正統なんです。そんな高校生いたら怖いわ。
さて、前回のノートに書いた通り、近代と日本という二つの概念を如何に統合するかがその次代のARCHITECTUREの目的でした。高等教育を受けた日本人建築家たちによる、本格的な西洋建築が台頭するのがこの時期です。「建築家=Architect」と呼ばれる人たちが日本で誕生するのがこの瞬間なんだと思います。
1877 工部大学(東大工学部のこと)設立、イギリス人建築家コンドル来日。
コンドル
造家術の指導、鹿鳴館、三菱一号館、ニコライ堂、岩崎邸(三菱財閥)など有名建築を多数つくる。
ニコライ堂
岩崎邸庭園。
上野の方にある。三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもの。
床のギシギシした感じがすごくよかった。
岩崎邸庭園 撞球室(ビリヤード室)
ちいさい山小屋みたいだった。
辰野金吾
コンドルの弟子、東大一期生。建築家界の最高権力者。 髭もじゃ。優しそう。
伊東忠太や塚本靖らを育てる。
また、息子の辰野隆は小林秀雄の先生らしい。
日本銀行、東京駅を40歳くらいで作る。
日本銀行 (1896年竣工)
東京駅(開業1913年)
また在野精神があり、日本初の「民間の」建設事務所をつくる。
レンガ(→労働者のイメージ)大理石(→高級なイメージ)
を上手に織り交ぜた、昭和のやさしい建築をつくった。とのこと。
妻木頼黄(つまき よりなか)
辰野金吾のライバル
日本橋の装飾を作ったのはこの人。
横浜正金銀行(今は神奈川県立歴史博物館)
片山東熊
たしかに熊っぽい顔をしている。
最も洗練された宮廷建築家
明治天皇に「こんな大きな家はいやだ」って言われてショックでうつ病になって死んじゃった。
旧帝国奈良博物館
表慶館(上野)
東京国立博物館の建物のひとつ、他には谷口吉生の法隆寺宝物館なども。
東宮御所(赤坂迎賓館)
迎賓館とは、外国の政府首脳などのVIPを迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設である。おもてなしハウス。
もともとは東宮御所、つまり皇太子の家として作られたが、あまりに華美に過ぎることや、住まいとして使いにくかったことから、実際には、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)はあまり使用しなかった。
噴水どーん!!
2009年に、明治時代に作られた建築として初めての国宝に指定される。
まとめ 男たちが美的な建築を頑張って作った時代。
空白のメダイヨン 〜明治建築の成熟と崩壊の指標〜
メダイヨンとは、円形またはそれに近いかたちの枠で縁どられた装飾。
昔は構造体だったけど、必要がなくなってそこを装飾化したもの。メダルのこと。
西洋の方法による日本表現の苦悩がメダイヨンに集約されている。
本来、西洋の建築の装飾だったメダイヨンの中には西洋の絵が描かれているが、さすがに様式はマネしても、帝国博物館のメダイヨンの中にキリスト教の絵とか描いたらマズイじゃないですか。
だから、何も描けなかったんです。
さっきの旧帝国奈良博物館も、
ほら、空白のメダイヨン。
国家の表層することの困難。
日本をデザインすることの苦悩の証が空白のメダイヨンなんでしょう。
上の写真のメダイヨンがそうだけれど、空白のメダイヨンに何を書けばいいのか50年間分からなかった結果、メダイヨンを膨らませてしまったという話が面白かった。
東宮御所ではメダイヨンが描かれています。
この赤坂璃宮は、黒田清輝・浅井忠・今泉雄作など、美術界のオールスターを擁して、ようやくメダイヨンが描けるようになった
問)「日本的なもの」はどう表せばよいか?
日本の伝統か?・・・ならば近代化はどうする?
近代日本か?・・・ならば伝統はどうする?
これらは、日本建築家が悩んだ最大のテーマだったのです。
国会議事堂建築 国家を疎外しないためのデザイン
国会議事堂は、まさに国を代表する建築になりますから、デザインとして国家を表現することになってしまいます。何の様式を選択するかによって、Disられてしまうのですね。だから非常にデリケートなところだったのです。
いろいろな紆余曲折を経てこの形になりますが、そのシンボルは「墓」だったのではないか、と、
鈴木博之氏は言っています。
古代エジプトの墓であるマウソレウム(階段状ピラミッド)の採用
→ヨーロッパを超えようとする様式選択の意思があるのではないか(鈴木博之)
最後に長野宇平治という古典主義系のデザインの人もいた。超古代に行ってしまった人を見ておわり
(写真 すべてwikipedia.org/より)
今日は明治時代に作られた建築をやります。堅苦しそうに見えるけれど実は面白いのが明治建築。例えば国会議事堂や、東京駅などの公共建築です。
公共建築は、建築家しか作れません。当たり前のようですが、もし公共建築を作りたかったら、建築学科に入学して、建築士の資格を取得しないとダメです。
だから、建築学科に入った理由は「建築家になりたい」よりも「公共建築をつくりたい」というほうが動機としてある意味正統なんです。そんな高校生いたら怖いわ。
さて、前回のノートに書いた通り、近代と日本という二つの概念を如何に統合するかがその次代のARCHITECTUREの目的でした。高等教育を受けた日本人建築家たちによる、本格的な西洋建築が台頭するのがこの時期です。「建築家=Architect」と呼ばれる人たちが日本で誕生するのがこの瞬間なんだと思います。
1877 工部大学(東大工学部のこと)設立、イギリス人建築家コンドル来日。
コンドル
造家術の指導、鹿鳴館、三菱一号館、ニコライ堂、岩崎邸(三菱財閥)など有名建築を多数つくる。
ニコライ堂
岩崎邸庭園。
上野の方にある。三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもの。
床のギシギシした感じがすごくよかった。
岩崎邸庭園 撞球室(ビリヤード室)
ちいさい山小屋みたいだった。
辰野金吾
コンドルの弟子、東大一期生。建築家界の最高権力者。 髭もじゃ。優しそう。
伊東忠太や塚本靖らを育てる。
また、息子の辰野隆は小林秀雄の先生らしい。
日本銀行、東京駅を40歳くらいで作る。
日本銀行 (1896年竣工)
東京駅(開業1913年)
また在野精神があり、日本初の「民間の」建設事務所をつくる。
レンガ(→労働者のイメージ)大理石(→高級なイメージ)
を上手に織り交ぜた、昭和のやさしい建築をつくった。とのこと。
妻木頼黄(つまき よりなか)
辰野金吾のライバル
日本橋の装飾を作ったのはこの人。
横浜正金銀行(今は神奈川県立歴史博物館)
片山東熊
たしかに熊っぽい顔をしている。
最も洗練された宮廷建築家
明治天皇に「こんな大きな家はいやだ」って言われてショックでうつ病になって死んじゃった。
旧帝国奈良博物館
表慶館(上野)
東京国立博物館の建物のひとつ、他には谷口吉生の法隆寺宝物館なども。
東宮御所(赤坂迎賓館)
迎賓館とは、外国の政府首脳などのVIPを迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設である。おもてなしハウス。
もともとは東宮御所、つまり皇太子の家として作られたが、あまりに華美に過ぎることや、住まいとして使いにくかったことから、実際には、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)はあまり使用しなかった。
噴水どーん!!
2009年に、明治時代に作られた建築として初めての国宝に指定される。
まとめ 男たちが美的な建築を頑張って作った時代。
空白のメダイヨン 〜明治建築の成熟と崩壊の指標〜
メダイヨンとは、円形またはそれに近いかたちの枠で縁どられた装飾。
昔は構造体だったけど、必要がなくなってそこを装飾化したもの。メダルのこと。
西洋の方法による日本表現の苦悩がメダイヨンに集約されている。
本来、西洋の建築の装飾だったメダイヨンの中には西洋の絵が描かれているが、さすがに様式はマネしても、帝国博物館のメダイヨンの中にキリスト教の絵とか描いたらマズイじゃないですか。
だから、何も描けなかったんです。
さっきの旧帝国奈良博物館も、
ほら、空白のメダイヨン。
国家の表層することの困難。
日本をデザインすることの苦悩の証が空白のメダイヨンなんでしょう。
上の写真のメダイヨンがそうだけれど、空白のメダイヨンに何を書けばいいのか50年間分からなかった結果、メダイヨンを膨らませてしまったという話が面白かった。
東宮御所ではメダイヨンが描かれています。
この赤坂璃宮は、黒田清輝・浅井忠・今泉雄作など、美術界のオールスターを擁して、ようやくメダイヨンが描けるようになった
問)「日本的なもの」はどう表せばよいか?
日本の伝統か?・・・ならば近代化はどうする?
近代日本か?・・・ならば伝統はどうする?
これらは、日本建築家が悩んだ最大のテーマだったのです。
国会議事堂建築 国家を疎外しないためのデザイン
国会議事堂は、まさに国を代表する建築になりますから、デザインとして国家を表現することになってしまいます。何の様式を選択するかによって、Disられてしまうのですね。だから非常にデリケートなところだったのです。
いろいろな紆余曲折を経てこの形になりますが、そのシンボルは「墓」だったのではないか、と、
鈴木博之氏は言っています。
古代エジプトの墓であるマウソレウム(階段状ピラミッド)の採用
→ヨーロッパを超えようとする様式選択の意思があるのではないか(鈴木博之)
最後に長野宇平治という古典主義系のデザインの人もいた。超古代に行ってしまった人を見ておわり
(写真 すべてwikipedia.org/より)
2011-02-06 02:46
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近代建築史11(白いくりがた 擬洋風建築と様式の本質) [建築の歴史]
ご無沙汰です。しばらく近代建築史の授業ノートを放ったらかしにしていました。日本近代建築史をやっていきます。
1 日本近代建築史
って一体なんなんでしょうか。
その名の通り、日本の近代の歴史です。
「日本+近代+建築」であるけれど、ただし、単純な足し算ではなく、そこには幻想が生まれます。
さて、日本近代建築史の考え方いきます。
日本という国家(NATIONALIZM) と 世界システム(MORDERN WORLD SYSTEM) の二つの流れをいかにしてこ統合するか。それこそが建築(ARCHITECTURE)の役割である。
・・なんのこっちゃ分からんと思います。
ちなみに中谷先生は、「近代世界システム」という本を読んでめちゃ頭よくなったそうです。
1500 世界 資本主義がおこる
↓
日本 江戸時代。西洋の近代世界システムに搾取(アメリカのように)されてはマズいと思い、鎖国!
1800 世界 産業革命がおこる。
↓
日本 文明開化して急速に輸入
1900 世界 モダニズムがおこる
↓
日本 5年後くらいには真似してる
1960 丹下健三!!!!!!!
みたいな感じです。ザックリしてます。丹下は偉大なのです。
まあ、とにかく、日本と世界近代システムをうまくハメるのが建築って考えましょう。
とはいえ実感としてゼンゼン分かりません。
あと、建築とその時の社会について。
原則は「時代に合ってないと基本的にかっこわるい」
2 疑洋風建築について ー本格的西洋建築が、日本に輸入される前に起こっていたことー
時は幕末、黒船に乗ったペリーがやってきてアッサリと鎖国が崩壊。
開港以降、やってきた外国人の居留地には本国の建築様式を持ち込んだ建造物が建てられました。
→居留地の建築に刺激を受けた大工の棟梁が、見よう見まねで洋風デザインの要素を取り入れた建物を建てるようになった。
これが擬洋風建築。
つまり、疑洋風建築とは、明治時代初期に西洋の建築を日本の職人が見よう見まねで建てた建築です。
正規の建築教育を受けた建築家が設計したものではないのがポイントです。
また、施主は地域の共同体が多かったというのも興味深いです。
江戸幕府が解体し明治政府が誕生した時に、二台目清水喜助が「築地ホテル」建設
東京大学工学部建築家ができて西洋建築の教育が始まるが、
その前に民間大工が西洋建築を作ってしまった!という事件が
クラークの家
横浜開港後、静岡学問所にお雇い教授として来日した22歳のクラーク(「少年を大志を抱け」のクラークではない)が、日本の大工に西洋風の自邸を作って欲しいと依頼します。
しかし、クラークは建築のことはよく分かりません。
クラーク 製作方法を指導できない(=かたちの決定能力に欠けている)
大工 西洋建築のことをしらない
しかし、大工はクラークの抽象的な話(おそらく英語と片言の日本語だったのでしょう。。)を理解して、見事、未だ見たこともない、西洋っぽい建築のかたちを作ってしまいました。
↓
みようみまねの法則1)みようみまねには、実は優秀な抽象形態把握能力が必要。
みようみまねの法則2)みようみまねは、同時に似顔絵の落書きでも事足りる(実は様式の本質)
↓
中高6年間、先生の落書きを続けてきた僕の経験則から、「似顔絵は、特徴を誇張すれば本人以上に似る」という持論があります。似顔絵が上手い人は、人の顔の特徴を捉えることが上手な気がします。
どれだけ絵がヘタ(落書き)でも、特徴を抽出できれば上手い似顔絵になる。
ある事柄に共通している一定の型が「様式」であるから、擬洋風建築は、大工たちが見よう見まねで描いた洋風建築の優れた似顔絵のこと。それに私たちが「洋風っぽさ」を思い起こすのであれば、そこに様式(型)を感じることが出来る。
似顔絵の落書きこそが様式の本質 というのはそういうことだと思います。
「っぽさ」の抽出こそが事物の本質なのかなあ、、とか考えている今日この頃です。
チューリングマシンの話とかもそうだけど、
外見は全然ヒトっぽくなくても、私たちヒトっぽいと感じれば既にそれはヒトなんじゃないか・・みたいな。
上から分かるように、擬洋風建築のキーワードは大工たちの「見よう見まね」にあります。
まとめ「疑洋風(にせもの)とは様式建築の本質である。」
大工棟梁・立石清重、松本開智学校
松本開智学校とジョンソーン自邸は同じ。
既存のものを組み合わせて今までに無いものを作る
あとは、築地ホテル。二代清水喜助
築地ホテルは、外人専用ホテル
東京タワーが出来るまでは、築地ホテルが東京のシンボルだった(って聞いた気がする。記憶が曖昧)
海鼠(なまこ)壁が特徴的
真ん中の塔は、燈台からきている。なぜ?→海に向かうところ。海外との接点
清水喜助による設計案の変遷 第一国立銀行
ちょ、これはやりすぎでしょww
ベランダはどこから来たか?
西洋の植民地(インド)で流行ったのが、出島の居留地からやってきた。
来週は明治建築です。
1 日本近代建築史
って一体なんなんでしょうか。
その名の通り、日本の近代の歴史です。
「日本+近代+建築」であるけれど、ただし、単純な足し算ではなく、そこには幻想が生まれます。
さて、日本近代建築史の考え方いきます。
日本という国家(NATIONALIZM) と 世界システム(MORDERN WORLD SYSTEM) の二つの流れをいかにしてこ統合するか。それこそが建築(ARCHITECTURE)の役割である。
・・なんのこっちゃ分からんと思います。
ちなみに中谷先生は、「近代世界システム」という本を読んでめちゃ頭よくなったそうです。
近代世界システム〈1〉―農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立 (岩波モダンクラシックス)
- 作者: I. ウォーラーステイン
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/10/24
- メディア: 単行本
1500 世界 資本主義がおこる
↓
日本 江戸時代。西洋の近代世界システムに搾取(アメリカのように)されてはマズいと思い、鎖国!
1800 世界 産業革命がおこる。
↓
日本 文明開化して急速に輸入
1900 世界 モダニズムがおこる
↓
日本 5年後くらいには真似してる
1960 丹下健三!!!!!!!
みたいな感じです。ザックリしてます。丹下は偉大なのです。
まあ、とにかく、日本と世界近代システムをうまくハメるのが建築って考えましょう。
とはいえ実感としてゼンゼン分かりません。
あと、建築とその時の社会について。
原則は「時代に合ってないと基本的にかっこわるい」
2 疑洋風建築について ー本格的西洋建築が、日本に輸入される前に起こっていたことー
時は幕末、黒船に乗ったペリーがやってきてアッサリと鎖国が崩壊。
開港以降、やってきた外国人の居留地には本国の建築様式を持ち込んだ建造物が建てられました。
→居留地の建築に刺激を受けた大工の棟梁が、見よう見まねで洋風デザインの要素を取り入れた建物を建てるようになった。
これが擬洋風建築。
つまり、疑洋風建築とは、明治時代初期に西洋の建築を日本の職人が見よう見まねで建てた建築です。
正規の建築教育を受けた建築家が設計したものではないのがポイントです。
また、施主は地域の共同体が多かったというのも興味深いです。
江戸幕府が解体し明治政府が誕生した時に、二台目清水喜助が「築地ホテル」建設
東京大学工学部建築家ができて西洋建築の教育が始まるが、
その前に民間大工が西洋建築を作ってしまった!という事件が
クラークの家
横浜開港後、静岡学問所にお雇い教授として来日した22歳のクラーク(「少年を大志を抱け」のクラークではない)が、日本の大工に西洋風の自邸を作って欲しいと依頼します。
しかし、クラークは建築のことはよく分かりません。
クラーク 製作方法を指導できない(=かたちの決定能力に欠けている)
大工 西洋建築のことをしらない
しかし、大工はクラークの抽象的な話(おそらく英語と片言の日本語だったのでしょう。。)を理解して、見事、未だ見たこともない、西洋っぽい建築のかたちを作ってしまいました。
↓
みようみまねの法則1)みようみまねには、実は優秀な抽象形態把握能力が必要。
みようみまねの法則2)みようみまねは、同時に似顔絵の落書きでも事足りる(実は様式の本質)
↓
中高6年間、先生の落書きを続けてきた僕の経験則から、「似顔絵は、特徴を誇張すれば本人以上に似る」という持論があります。似顔絵が上手い人は、人の顔の特徴を捉えることが上手な気がします。
どれだけ絵がヘタ(落書き)でも、特徴を抽出できれば上手い似顔絵になる。
ある事柄に共通している一定の型が「様式」であるから、擬洋風建築は、大工たちが見よう見まねで描いた洋風建築の優れた似顔絵のこと。それに私たちが「洋風っぽさ」を思い起こすのであれば、そこに様式(型)を感じることが出来る。
似顔絵の落書きこそが様式の本質 というのはそういうことだと思います。
「っぽさ」の抽出こそが事物の本質なのかなあ、、とか考えている今日この頃です。
チューリングマシンの話とかもそうだけど、
外見は全然ヒトっぽくなくても、私たちヒトっぽいと感じれば既にそれはヒトなんじゃないか・・みたいな。
上から分かるように、擬洋風建築のキーワードは大工たちの「見よう見まね」にあります。
まとめ「疑洋風(にせもの)とは様式建築の本質である。」
大工棟梁・立石清重、松本開智学校
松本開智学校とジョンソーン自邸は同じ。
既存のものを組み合わせて今までに無いものを作る
あとは、築地ホテル。二代清水喜助
築地ホテルは、外人専用ホテル
東京タワーが出来るまでは、築地ホテルが東京のシンボルだった(って聞いた気がする。記憶が曖昧)
海鼠(なまこ)壁が特徴的
真ん中の塔は、燈台からきている。なぜ?→海に向かうところ。海外との接点
清水喜助による設計案の変遷 第一国立銀行
ちょ、これはやりすぎでしょww
ベランダはどこから来たか?
西洋の植民地(インド)で流行ったのが、出島の居留地からやってきた。
来週は明治建築です。
2011-02-02 16:36
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近代建築史8(コルビュジエ、未来派、ロシア構成主義) [建築の歴史]
「建築史は、スクール・オブ・ロックみたいなもの。悪い事おしえている。」
モダニズムの平面(2)
今日やることも先週に引き続きます。
いろんな建築家や芸術運動が「あたらしい建築の基準(お金)はコレだ!と、モダニズムの覇権争いをしている1900年代前半です。近代建築の3大巨匠(ミース、コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト)とよばれるコルビュジエはモダニズムの基準作りにかなり成功した人ではないか。1万円札に顔が乗るならコルビュジエだと思う。
1 コルビュジエ(ビートルズ)について
ル・コルビュジエという名前は実はペンネームで、本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)だそうです。シャルル。
「コルビュジエは全般的に天才だったわけですが、彼のやってきたことを振り返ります。彼は社会性も妥当性も芸術性もあった。もともとは画家でもあった。キュビズムの影響をかなり受けている。」
コルビュジエは、
鉄筋コンクリートのドミノシステムを1914年に発表。
雑誌つくる(メディアを作った初めての建築家)。
建築国際会議。
五原則 啓蒙活動など、幅広い活動をしました。
コルビュジェで20世紀の「建築における言語」が出尽くした。
1930年には、低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとする「輝く都市計画」案を発表。高層ビルを作って空いた場所で共有できるじゃないかみたいな。集合体のあり方についても考えていた。
ドミノハウス
本来は復興用住宅として考えられた。
構造は柱とスラブ(床)が担保している。
よって、住民が壁を勝手に作ることができる。
あ、これ俺が壁つくったらどうなるか?と考えたコルビュジエ。
そのときに生まれたのが近代建築の5原則です。
近代建築の5原則。テストに出てきそう(ないけど)
1. ピロティ
2. 屋上庭園
3. 自由な平面
4. 独立骨組みによる水平連続窓
5. 自由な立面
ピロティとは、2階建て以上の建物で、地上部分(1階)が柱を残して外部空間と化した建築形式のこと。例えるならダックスフンドみたいな感じ。
自由な平面、自由な立面というのは、床と壁が「自由に作れる」ということなのかな。
5原則をすべて網羅したのが、代表作の「サヴォア邸」です。
サヴォア邸
ドミノシステムを車に展開している。
スロープと螺旋階段 = 直線と曲線のコントラスト。→これこそキュビズム。
スロープ ゆっくりすすむ
螺旋階段 はやい
時間空間の違う装置であるスロープと螺旋階段を隣に配置する。
これこそがコルビュジエで、違うシーケンス、異なる言語をバシッと合わせた。
車と飛行機と人間の時間を統合。ここが凄い。これはミースにはできなかった。ちなみにミースは時間を止める。
5原則を適用した集合住宅がマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」です。
船の部屋の構造をマネして考えた。
メゾネット(1つの住宅の内部に内階段が設置され、2層(以上)を立体的に使用すること)であり、
ギリシャ建築から展開したモデュロール(コルビュジエが作った人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法)を適用してる。
その後 1955 ロンシャンの礼拝堂
印象派っぽくなる
大学三年で初海外旅行にいった中谷先生 ロンシャン まじ感動した
うすーうすーく、という流れを逆転させた。壁厚1mほど。
1960 ラトゥーレット修道院
世界をいかにして調律するかという思想があった。
独特なランダムに縦割りされた窓わりとか。
その背景にある、キュビズム(いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めるやつ)
西洋絵画は、ルネサンスに発明された一点透視の呪縛から逃れようとしていた。
ピカソ、ジョルジュ・ブラックなど。
コルビュジエは新しいモダニズムの平面の正統派です。
音楽で言えばビートルズです。
しかし世界にはビートルズ以外の音楽もあります。
2 未来派(=デスメタル?)イタリア系
未来派(Futurismo、Futurism, )とは、過去の芸術の徹底破壊と、機械化した近代社会のスピードを称えるもの。イタリア・ファシズムに受け入れられ、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美したり、女性差別などがあったり。アバンギャルド。
未来派宣言の中で、詩人のマリネッティは「われわれは、世界の唯一の健康法である戦争、軍国主義、愛国主義、無政府主義者の破壊的な行動、命を犠牲にできる美しい理想、そして女性蔑視に栄光を与えたい。」と言ってます(汗)
建築家のアントニオ_サンテリアは「新都市」と題された、工業・機械化された未来の都市が描かれた16枚のドローイングを発表する。
高層ビルや発電所が中心に描かれる。「けっこういい線いってる」とレーニン先生。
「新都市」については鵜沢隆さんが註釈をつけた原寸カラーの本が売ってるけど、55000円します。なんかかっこいいんですよね。
3 ロシア構成主義 (音楽でいえば、何だ?ピエール瀧?w)
ロシア革命を背景とした新芸術運動
産業や労働と結びついた新しい芸術のありかた。
ロシア構成主義は、幾何学的で、立体的で、とにかく新しい。びっくりするくらい新しいのである。
ロシア構成主義と聞いて、ソ連のSF映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」を思い出した。
この映画ほど衝撃的なものはなかった。
タトリン、第三インターナショナル塔案の映像をみる。
タトリンのこの案は実際には建設されることはなかったが、
この高さ400mの、斜めに渦巻いた螺旋のタワーにはなんだか恐ろしい宇宙的なエネルギーを感じる。
リシツキー 「レーニン演壇」について説明するレーニン先生。It's a リカージョン。
さらっとフラーも。
4 バックミンスター・フラー
フラーは、石山修武先生もNOSIGNER氏も好きなので僕も今勉強中なので詳しくは後日書くが、地球は有限だということを初めて言った人。これこそが彼の最大の功績ではないだろうか。
ダイマキシオンという、最小の努力で最大の効果をえられる構造。
フラーは近視であんまり目が見えないらしく、ぼーっとしてた(笑)などなど
次から日本建築行きます
画像 wikipedia .org 、三松幸雄 記録 より。
モダニズムの平面(2)
今日やることも先週に引き続きます。
いろんな建築家や芸術運動が「あたらしい建築の基準(お金)はコレだ!と、モダニズムの覇権争いをしている1900年代前半です。近代建築の3大巨匠(ミース、コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト)とよばれるコルビュジエはモダニズムの基準作りにかなり成功した人ではないか。1万円札に顔が乗るならコルビュジエだと思う。
1 コルビュジエ(ビートルズ)について
ル・コルビュジエという名前は実はペンネームで、本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)だそうです。シャルル。
「コルビュジエは全般的に天才だったわけですが、彼のやってきたことを振り返ります。彼は社会性も妥当性も芸術性もあった。もともとは画家でもあった。キュビズムの影響をかなり受けている。」
コルビュジエは、
鉄筋コンクリートのドミノシステムを1914年に発表。
雑誌つくる(メディアを作った初めての建築家)。
建築国際会議。
五原則 啓蒙活動など、幅広い活動をしました。
コルビュジェで20世紀の「建築における言語」が出尽くした。
1930年には、低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとする「輝く都市計画」案を発表。高層ビルを作って空いた場所で共有できるじゃないかみたいな。集合体のあり方についても考えていた。
ドミノハウス
本来は復興用住宅として考えられた。
構造は柱とスラブ(床)が担保している。
よって、住民が壁を勝手に作ることができる。
あ、これ俺が壁つくったらどうなるか?と考えたコルビュジエ。
そのときに生まれたのが近代建築の5原則です。
近代建築の5原則。テストに出てきそう(ないけど)
1. ピロティ
2. 屋上庭園
3. 自由な平面
4. 独立骨組みによる水平連続窓
5. 自由な立面
ピロティとは、2階建て以上の建物で、地上部分(1階)が柱を残して外部空間と化した建築形式のこと。例えるならダックスフンドみたいな感じ。
自由な平面、自由な立面というのは、床と壁が「自由に作れる」ということなのかな。
5原則をすべて網羅したのが、代表作の「サヴォア邸」です。
サヴォア邸
ドミノシステムを車に展開している。
スロープと螺旋階段 = 直線と曲線のコントラスト。→これこそキュビズム。
スロープ ゆっくりすすむ
螺旋階段 はやい
時間空間の違う装置であるスロープと螺旋階段を隣に配置する。
これこそがコルビュジエで、違うシーケンス、異なる言語をバシッと合わせた。
車と飛行機と人間の時間を統合。ここが凄い。これはミースにはできなかった。ちなみにミースは時間を止める。
5原則を適用した集合住宅がマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン」です。
船の部屋の構造をマネして考えた。
メゾネット(1つの住宅の内部に内階段が設置され、2層(以上)を立体的に使用すること)であり、
ギリシャ建築から展開したモデュロール(コルビュジエが作った人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法)を適用してる。
その後 1955 ロンシャンの礼拝堂
印象派っぽくなる
大学三年で初海外旅行にいった中谷先生 ロンシャン まじ感動した
うすーうすーく、という流れを逆転させた。壁厚1mほど。
1960 ラトゥーレット修道院
世界をいかにして調律するかという思想があった。
独特なランダムに縦割りされた窓わりとか。
その背景にある、キュビズム(いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めるやつ)
西洋絵画は、ルネサンスに発明された一点透視の呪縛から逃れようとしていた。
ピカソ、ジョルジュ・ブラックなど。
コルビュジエは新しいモダニズムの平面の正統派です。
音楽で言えばビートルズです。
しかし世界にはビートルズ以外の音楽もあります。
2 未来派(=デスメタル?)イタリア系
未来派(Futurismo、Futurism, )とは、過去の芸術の徹底破壊と、機械化した近代社会のスピードを称えるもの。イタリア・ファシズムに受け入れられ、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美したり、女性差別などがあったり。アバンギャルド。
未来派宣言の中で、詩人のマリネッティは「われわれは、世界の唯一の健康法である戦争、軍国主義、愛国主義、無政府主義者の破壊的な行動、命を犠牲にできる美しい理想、そして女性蔑視に栄光を与えたい。」と言ってます(汗)
建築家のアントニオ_サンテリアは「新都市」と題された、工業・機械化された未来の都市が描かれた16枚のドローイングを発表する。
高層ビルや発電所が中心に描かれる。「けっこういい線いってる」とレーニン先生。
「新都市」については鵜沢隆さんが註釈をつけた原寸カラーの本が売ってるけど、55000円します。なんかかっこいいんですよね。
3 ロシア構成主義 (音楽でいえば、何だ?ピエール瀧?w)
ロシア革命を背景とした新芸術運動
産業や労働と結びついた新しい芸術のありかた。
ロシア構成主義は、幾何学的で、立体的で、とにかく新しい。びっくりするくらい新しいのである。
ロシア構成主義と聞いて、ソ連のSF映画「不思議惑星キン・ザ・ザ」を思い出した。
この映画ほど衝撃的なものはなかった。
タトリン、第三インターナショナル塔案の映像をみる。
タトリンのこの案は実際には建設されることはなかったが、
この高さ400mの、斜めに渦巻いた螺旋のタワーにはなんだか恐ろしい宇宙的なエネルギーを感じる。
リシツキー 「レーニン演壇」について説明するレーニン先生。It's a リカージョン。
さらっとフラーも。
4 バックミンスター・フラー
フラーは、石山修武先生もNOSIGNER氏も好きなので僕も今勉強中なので詳しくは後日書くが、地球は有限だということを初めて言った人。これこそが彼の最大の功績ではないだろうか。
ダイマキシオンという、最小の努力で最大の効果をえられる構造。
フラーは近視であんまり目が見えないらしく、ぼーっとしてた(笑)などなど
次から日本建築行きます
画像 wikipedia .org 、三松幸雄 記録 より。
2010-12-25 06:51
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近代建築史(その6 産業革命と万国博覧会、クリスタル・パレス、建築外の思考) [建築の歴史]
盟友・田中純さんの話から始まる。田中純さんはキレキレで、鋭い論考をするが、図面とかに関しては体感的な理解がコッチにある分有利で、行くとこまで行くとあとはもう任せて。みたいになるときがある、と。田中純さんの話も聞いてみたい。ゲストに呼んでくれないかなあ。
第七回目 産業革命と万国博覧会、クリスタル・パレス、建築外の思考
まずは当時の時代背景から。1840年〜くらいからの話です。
鉄筋コンクリート構造という技術が生まれます。
鉄筋コンクリートは、生まれはボート屋の技術だった。それを見た植木屋が、「これは使える」と思った。そこから建築に応用されるようになった。
産業革命 蒸気機関などの新しい動力に基づいた機械によって生産が行われる。
ちなみに中谷先生は言及していませんでしたが、クリスタルパレスや産業革命時のロンドンについては、映画「スチームボーイ」を見るとよく分かります。
僕の中では、「クリスタルパレス=スチームボーイ」の図式が浮かび上がるほどです。
1:43はクリスタル・パレスの内部空間だし、2:11なんかまさにそれです。
建築家ヴィオレ・ル・デュクによる鉄柱しようの提案について説明を受ける。
(古い建物を保存しようという、リノベのさきがけみたいな)
中谷先生もいつかヴィオレ・ル・デュクについて研究したい、と言っていた。
「建築家なしの建築」で有名なSD選書にもデュクの本がある。
ヴィオレ・ル・デュク、名前くらいは憶えておいたほうが良さそうだ。チュミと間違えそうである。
さて、このような生産構造の変革を背景にして、
万国博覧会の誕生 1849年にフランスが提唱したのに、第一回目はイギリス(1851年、ロンドン)で行われた。
1851、英国。
第一回目の万国博覧会が決定する。世界中から色々な発明、技術が集結する。
さて、ここで二つの大きな問題が生じます。
問)世界を収容する建築はいかにあるべきか?
(→世界中から集まったものを入れるものが、ナントカ国風だったり、〜〜様式だったら平等じゃない!って言われちゃう)
問)簡単に建造解体可能な大建築は可能か?
(万博という短期間のイベントに間に合わすことができ、使わなくなったら壊すことのできる、大きな建築が作りたい)
超ムズカシイです。
二つの超難問に応えたのが、水晶宮(クリスタル・パレス)です。
鉄とガラスで出来た建築、水晶宮(クリスタル・パレス)は9ヶ月のスピード工事で立ち上がり仮設建設の先駆けと呼ばれ、
ハスの葉脈からヒントを得た屋根構造は繊細で美しく、長さ約563m、幅約124mの大きさで立ち上がり、従来の様式にまったく縛られていません。
今まで様式の反復とかソーン博物館とか言ってたのに、急になにこれー!?というビックリ建築。そしてメチャかっこいい。
現存していないのが残念です。
設計者はジョセフ・パクストン、注目すべきは、彼は庭師(建築の部外者)だったということ。
うおーい建築家じゃないのかぁ。寂しいな。やはり閉塞した建築に新しい息吹を与えることが出来るのは違う世界の人なのだろうか。昔も今も。
ロンドン南西部にあるキューガーデンの紹介も受ける。
冬のロンドンはとても寒い。そんななかキューガーデンの温室の中に入り外を見ると、曇りガラスから見える庭園の感じがカッコ良い。
万博の歴史についても少し触れます。
1868 パリ万博
世界の建築の様式を展示 エレベータの展示とかこのへん。
1876
フィラデルフィア万博
日本の大工仕事が広く紹介された
移築されたセントルイス日本館
1908 ギャンブルハウス にも日本の技術の影響はみられる
1889年パリ万博 エッフェル塔
エッフェル塔はバカに出来ない。と中谷先生。
エッフェル塔の下にいったときの繊細なフレームワークはすごいスペクタクル。
技術者(ケクラン)がデザイン者(ソーヴェスト)にデザインで勝った貴重な建築でもあり、
エッフェル塔の4階(だけどてっぺん)には、エッフェルさんの研究室と住まいがあり、彼はそこでその後の生涯を過ごしたらしい。
今行くと、蝋人形があるらしい。
今週で急に現代っぽくなってきました。さあ来週はモダニズムです。ではまた。
第七回目 産業革命と万国博覧会、クリスタル・パレス、建築外の思考
まずは当時の時代背景から。1840年〜くらいからの話です。
鉄筋コンクリート構造という技術が生まれます。
鉄筋コンクリートは、生まれはボート屋の技術だった。それを見た植木屋が、「これは使える」と思った。そこから建築に応用されるようになった。
産業革命 蒸気機関などの新しい動力に基づいた機械によって生産が行われる。
ちなみに中谷先生は言及していませんでしたが、クリスタルパレスや産業革命時のロンドンについては、映画「スチームボーイ」を見るとよく分かります。
僕の中では、「クリスタルパレス=スチームボーイ」の図式が浮かび上がるほどです。
1:43はクリスタル・パレスの内部空間だし、2:11なんかまさにそれです。
建築家ヴィオレ・ル・デュクによる鉄柱しようの提案について説明を受ける。
(古い建物を保存しようという、リノベのさきがけみたいな)
中谷先生もいつかヴィオレ・ル・デュクについて研究したい、と言っていた。
「建築家なしの建築」で有名なSD選書にもデュクの本がある。
ヴィオレ・ル・デュク、名前くらいは憶えておいたほうが良さそうだ。チュミと間違えそうである。
さて、このような生産構造の変革を背景にして、
万国博覧会の誕生 1849年にフランスが提唱したのに、第一回目はイギリス(1851年、ロンドン)で行われた。
1851、英国。
第一回目の万国博覧会が決定する。世界中から色々な発明、技術が集結する。
さて、ここで二つの大きな問題が生じます。
問)世界を収容する建築はいかにあるべきか?
(→世界中から集まったものを入れるものが、ナントカ国風だったり、〜〜様式だったら平等じゃない!って言われちゃう)
問)簡単に建造解体可能な大建築は可能か?
(万博という短期間のイベントに間に合わすことができ、使わなくなったら壊すことのできる、大きな建築が作りたい)
超ムズカシイです。
二つの超難問に応えたのが、水晶宮(クリスタル・パレス)です。
鉄とガラスで出来た建築、水晶宮(クリスタル・パレス)は9ヶ月のスピード工事で立ち上がり仮設建設の先駆けと呼ばれ、
ハスの葉脈からヒントを得た屋根構造は繊細で美しく、長さ約563m、幅約124mの大きさで立ち上がり、従来の様式にまったく縛られていません。
今まで様式の反復とかソーン博物館とか言ってたのに、急になにこれー!?というビックリ建築。そしてメチャかっこいい。
現存していないのが残念です。
設計者はジョセフ・パクストン、注目すべきは、彼は庭師(建築の部外者)だったということ。
うおーい建築家じゃないのかぁ。寂しいな。やはり閉塞した建築に新しい息吹を与えることが出来るのは違う世界の人なのだろうか。昔も今も。
ロンドン南西部にあるキューガーデンの紹介も受ける。
冬のロンドンはとても寒い。そんななかキューガーデンの温室の中に入り外を見ると、曇りガラスから見える庭園の感じがカッコ良い。
万博の歴史についても少し触れます。
1868 パリ万博
世界の建築の様式を展示 エレベータの展示とかこのへん。
1876
フィラデルフィア万博
日本の大工仕事が広く紹介された
移築されたセントルイス日本館
1908 ギャンブルハウス にも日本の技術の影響はみられる
1889年パリ万博 エッフェル塔
エッフェル塔はバカに出来ない。と中谷先生。
エッフェル塔の下にいったときの繊細なフレームワークはすごいスペクタクル。
技術者(ケクラン)がデザイン者(ソーヴェスト)にデザインで勝った貴重な建築でもあり、
エッフェル塔の4階(だけどてっぺん)には、エッフェルさんの研究室と住まいがあり、彼はそこでその後の生涯を過ごしたらしい。
今行くと、蝋人形があるらしい。
今週で急に現代っぽくなってきました。さあ来週はモダニズムです。ではまた。
2010-11-20 17:13
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近代建築史(その4・5)「折衷と廃墟、19世紀英国」 [建築の歴史]
11/4(木)10:40 タリーズ片手の中谷レーニン氏
前回の授業で見た『去年マリエンバートで』の解説から。
マリエンバードの冒頭の映像↓
---まるで床が砂か砂利か敷石であるかのように、その上を私は歩いてきた。 廊下を歩き、この建物の広間や回廊を通り抜け、バロック風の巨大で不気味なこのホテル の廊下は果てしなく続く。 静かな部屋で足音は厚い絨毯に吸い取られ、歩く当人でさえも何も聞こえない。 まるで耳自体が・・・。 廊下をずっと歩いていけば、古い時代の建物の広間や回廊をよぎる。 大理石、黒いガラス、黒っぽい絵、円柱、縁取りのある一連の扉、一連の回廊、交差する 廊下。 廊下は無人の広間に通ずる。広間は古い時代の装飾過多。 無人で静かで、冷たい装飾が過剰で、化粧漆喰や、くり形の鏡板。---- (字幕から引用)
映像、音声、編集、
その三つの「非」同期性が映画の本質だと中谷氏。
「非」同期とは、映像とBGMがリンクしていない、ということ。
たとえば音楽を変えることで、同じ映像でも10年前を感じさせたり、パリの映像でありながら日本を表現したりできるということ。それらの編集で、複雑な時空や感情を構築できる、それこそが映画の本質なのではないか・・・みたいな感じと解釈しました。
難解な映画は、スルメのように、噛めば噛むほど・・みたいになんのかな。
ぶっちゃけ難しい映画はマッタク分かんない。
映画監督アラン・レスは「非同期」の天才だった。
『24時間の情事』 を見る。時間のマジックとはこのこと、らしい。
で、第五回のテーマは「折衷と廃墟 19世紀英国」
Ecleticism 折衷主義。
和洋折衷の「折衷」です。
和食も洋食も中華もごちゃまぜでだべるニッポンの食卓のように、19世紀になると、建築様式が選べるようになりました。
ギリシャ、ローマ、ロマネスク、ビザンティン、バロック、ロココ、とか色々・・・。
様式を取捨選択することで、時代の相異なり矛盾する要素までをもまとめられるようになったので、
エディット、つまり編集の技術こそが力量の基準になるようになった。
「選択可能性と均質性、建築における交換価値」
交換価値 についての説明がありました。マルクス経済学の用語らしいです。
例えば、自分が絵を描いて「売ってくれ」と言われたら、値段の基準が無いから困りますよね。
その絵はどのくらいの価値があるのか、メロン何個と交換できるのか?そんな、生産物の交換的な価値のことを「交換価値」というそうです。
ウィキペディアには、
---あらゆる生産物は使用価値を持っているが、それは交換されなければ主観的な使用価値に過ぎない。しかし交換されその生産物は商品となった時、すなわち交換の過程で、より客観的な価値としての交換価値がその商品に与えられることとなる。すなわち商品の交換価値はその他の種類の商品と物々交換される差異の量的な比率に表現できる。その方程式はA商品x量=B商品y量のようにあらわすことができる。物々交換では商品の交換比率は常に変動的、偶然的なものであるが長期的に平均化すれば一定の安定した交換価値がある。すなわちすべての全く性質が異なる商品でも大きさが比較できる普遍的な価値が内在していると考えることができる。
例えば1キロのお米と、1平方メートルの布が物々交換されると仮定する。この場合、お米という商品1キロは布という商品1平方メートルと同じ交換価値を持つ。しかし、お米と布の価値は性質が全く異なる商品であり、数量的には比較することが不可能であるはずである。この経済現象はすべての商品には普遍的・抽象的な価値を持っていると考えられる。したがってマルクス経済学ではこの普遍的な価値を最も根源的な「価値」と呼ぶ。---(ウィキペディアより引用)と、まあ、当たり前とのことを言っています。
物々交換としての価値である交換価値が、どうしてこの授業で説明されていたかは、思い出せません。
マルクスを読め、ということです。きっと。この前出た、内田樹さんのマルクス本を読みます。
さて、
19世紀以降に展開された、建築様式の最後がこの折衷主義である。
様式はもう、だいたい出し尽くした感じかな。
ここで、折衷主義的な映画 BLADE RUNNER,1982を見ました。主演ハリソンフォード
SFなのに音楽が古いしファッションも古風。意味わからん(それこそ折衷?)
折衷主義の代表建築は、ジョン・ソーン博物館です。
ファサード(通りから見える正面のこと)
平面図 眺めててちょっと楽しい。
ジョン・ソーン(1753-1837)、彼は折衷主義のマスター。
ちなみにこれはイングランド銀行。多摩美の図書館みたいだね。
ソーン博物館には、あらゆる様式がごちゃ混ぜになっています。
パルテノン神殿みたいな柱もあれば、
わりと最近ありそうな部屋もあったり。
ほんとに同じ屋根の下か?という印象です。天ぷら海鮮カツ丼大盛りです。
ソーン自邸は、自邸から博物館へリノベーション繰り返されるうちに、どんどん公共性を獲得していきました。いろんな様式を、分離させながら混在させている。
要は上品な枠組みを作って、様式のカタログを展示している感じかな?
絵画室、何層にもなる絵画扉。絵画天井がすごかった!天蓋に薄いドーム、吹き抜け。
エジプトの棺からお面、色んな者が集まった博物館の断面図を見ながら、「こんなの作りたいよね。お金あったらこういうことしたい」と中谷氏。
ソーンは自邸を画家に描かせていた。
JMガンディーによるドローイングが印象的。
この絵がJMガンディーだったかは覚えてない(すいません)
問1 なぜ異質な様式を混在できるのだろうか。その方法とは何か
→博物館化する!
新聞紙について、アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンは、「新聞の発生が国民国家の形成だ」と言った。
新聞紙も、折衷主義(何でもあり)?なのでしょうか。
ある情報を離れた時空で共有できることが、国家には必要なのかな?うーんよく分からんけど。
あらゆる様式がユークリッド平面上に置かれる、それが折衷主義。
その均質なユークリッド平面こそがモダニズムなので、ある意味モダニズムは必然だったのだろうか。
ピクチャレスクと廃墟。(ここ一番おいしいとこなのに、集中力が落ちてたスイマセン)
The Chancel and Crossing of Tintern Abbey, Looking towards the East Window 、J. M. W. ターナー、1794年
ピクチャレスクとは、18世紀にイギリスではやった美的概念のこと。
人工美でなく自然美を重視されたが、実際は人工的に作られた自然であって、どこか矛盾している。
ちなみにピクチャレスクって知ってると「おおコイツ勉強してるな」ってなるらしいから、皆さん、これ見よがしに使いましょう(笑)
問2 ピクチャレスクの庭園には必ずといっていいほど廃墟がある。なぜか?
sublime(崇高性)というのが重要なキーワードらしいです。
またまたウィキペディアでは、
---1757年の『美と崇高の理念の起源に関する哲学的考察』においてエドマンド・バークは、柔らかで穏やかな曲線は男性の性的欲望に訴え、一方で崇高な恐怖はわれわれの自己防御の欲望に訴えると考えられる、と述べた。美と崇高という、合理的に理念化された状態のあいだの存在の可能性を示しつつ、なおかつこの美と崇高という対立理念の調停者として、ピクチャレスクは登場した。トーマス・グレイが1765年にスコットランド・ハイランド地方について書いたように、「この山々は恍惚とさせる…それ以外の何ものでもない…かくなる恐怖にかくなる美がいかに結合するかを、神は知りたまう」---
とあります。
勝手な解釈だと、廃墟は、繊細な植物(美)と、巨大な山の(崇高性)の中間にあって、萌える。
自然のなかにある大きなもの(廃墟?)、崇高なものに萌えてたんだろうか。
最近も廃墟好きの人いますもんね。あの人たちはピクチャレスクなのかなあ。
今の、植物と建築の問題も200年前からあった。
石上純也さんがビエンナーレ日本館の中に植物園を作ったのも、ピクチャレスクと繋がっている考え方だとか。
ビエンナーレの写真はヴェネツィア ときどき イタリアに詳しくあったのでご覧くだせえ。
石上さんは廃墟好きなのかな?聞いてみたい。
そして再びブレードランナーのハイライトシーン見る。
レプリカント(人造人間)の死が折衷主義の終焉らしい。さすがに意味不明です。
来週らへんからモダニズムに入っていきます。
前回の授業で見た『去年マリエンバートで』の解説から。
マリエンバードの冒頭の映像↓
---まるで床が砂か砂利か敷石であるかのように、その上を私は歩いてきた。 廊下を歩き、この建物の広間や回廊を通り抜け、バロック風の巨大で不気味なこのホテル の廊下は果てしなく続く。 静かな部屋で足音は厚い絨毯に吸い取られ、歩く当人でさえも何も聞こえない。 まるで耳自体が・・・。 廊下をずっと歩いていけば、古い時代の建物の広間や回廊をよぎる。 大理石、黒いガラス、黒っぽい絵、円柱、縁取りのある一連の扉、一連の回廊、交差する 廊下。 廊下は無人の広間に通ずる。広間は古い時代の装飾過多。 無人で静かで、冷たい装飾が過剰で、化粧漆喰や、くり形の鏡板。---- (字幕から引用)
映像、音声、編集、
その三つの「非」同期性が映画の本質だと中谷氏。
「非」同期とは、映像とBGMがリンクしていない、ということ。
たとえば音楽を変えることで、同じ映像でも10年前を感じさせたり、パリの映像でありながら日本を表現したりできるということ。それらの編集で、複雑な時空や感情を構築できる、それこそが映画の本質なのではないか・・・みたいな感じと解釈しました。
難解な映画は、スルメのように、噛めば噛むほど・・みたいになんのかな。
ぶっちゃけ難しい映画はマッタク分かんない。
映画監督アラン・レスは「非同期」の天才だった。
『24時間の情事』 を見る。時間のマジックとはこのこと、らしい。
で、第五回のテーマは「折衷と廃墟 19世紀英国」
Ecleticism 折衷主義。
和洋折衷の「折衷」です。
和食も洋食も中華もごちゃまぜでだべるニッポンの食卓のように、19世紀になると、建築様式が選べるようになりました。
ギリシャ、ローマ、ロマネスク、ビザンティン、バロック、ロココ、とか色々・・・。
様式を取捨選択することで、時代の相異なり矛盾する要素までをもまとめられるようになったので、
エディット、つまり編集の技術こそが力量の基準になるようになった。
「選択可能性と均質性、建築における交換価値」
交換価値 についての説明がありました。マルクス経済学の用語らしいです。
例えば、自分が絵を描いて「売ってくれ」と言われたら、値段の基準が無いから困りますよね。
その絵はどのくらいの価値があるのか、メロン何個と交換できるのか?そんな、生産物の交換的な価値のことを「交換価値」というそうです。
ウィキペディアには、
---あらゆる生産物は使用価値を持っているが、それは交換されなければ主観的な使用価値に過ぎない。しかし交換されその生産物は商品となった時、すなわち交換の過程で、より客観的な価値としての交換価値がその商品に与えられることとなる。すなわち商品の交換価値はその他の種類の商品と物々交換される差異の量的な比率に表現できる。その方程式はA商品x量=B商品y量のようにあらわすことができる。物々交換では商品の交換比率は常に変動的、偶然的なものであるが長期的に平均化すれば一定の安定した交換価値がある。すなわちすべての全く性質が異なる商品でも大きさが比較できる普遍的な価値が内在していると考えることができる。
例えば1キロのお米と、1平方メートルの布が物々交換されると仮定する。この場合、お米という商品1キロは布という商品1平方メートルと同じ交換価値を持つ。しかし、お米と布の価値は性質が全く異なる商品であり、数量的には比較することが不可能であるはずである。この経済現象はすべての商品には普遍的・抽象的な価値を持っていると考えられる。したがってマルクス経済学ではこの普遍的な価値を最も根源的な「価値」と呼ぶ。---(ウィキペディアより引用)と、まあ、当たり前とのことを言っています。
物々交換としての価値である交換価値が、どうしてこの授業で説明されていたかは、思い出せません。
マルクスを読め、ということです。きっと。この前出た、内田樹さんのマルクス本を読みます。
さて、
19世紀以降に展開された、建築様式の最後がこの折衷主義である。
様式はもう、だいたい出し尽くした感じかな。
ここで、折衷主義的な映画 BLADE RUNNER,1982を見ました。主演ハリソンフォード
SFなのに音楽が古いしファッションも古風。意味わからん(それこそ折衷?)
折衷主義の代表建築は、ジョン・ソーン博物館です。
ファサード(通りから見える正面のこと)
平面図 眺めててちょっと楽しい。
ジョン・ソーン(1753-1837)、彼は折衷主義のマスター。
ちなみにこれはイングランド銀行。多摩美の図書館みたいだね。
ソーン博物館には、あらゆる様式がごちゃ混ぜになっています。
パルテノン神殿みたいな柱もあれば、
わりと最近ありそうな部屋もあったり。
ほんとに同じ屋根の下か?という印象です。天ぷら海鮮カツ丼大盛りです。
ソーン自邸は、自邸から博物館へリノベーション繰り返されるうちに、どんどん公共性を獲得していきました。いろんな様式を、分離させながら混在させている。
要は上品な枠組みを作って、様式のカタログを展示している感じかな?
絵画室、何層にもなる絵画扉。絵画天井がすごかった!天蓋に薄いドーム、吹き抜け。
エジプトの棺からお面、色んな者が集まった博物館の断面図を見ながら、「こんなの作りたいよね。お金あったらこういうことしたい」と中谷氏。
ソーンは自邸を画家に描かせていた。
JMガンディーによるドローイングが印象的。
この絵がJMガンディーだったかは覚えてない(すいません)
問1 なぜ異質な様式を混在できるのだろうか。その方法とは何か
→博物館化する!
新聞紙について、アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンは、「新聞の発生が国民国家の形成だ」と言った。
新聞紙も、折衷主義(何でもあり)?なのでしょうか。
ある情報を離れた時空で共有できることが、国家には必要なのかな?うーんよく分からんけど。
あらゆる様式がユークリッド平面上に置かれる、それが折衷主義。
その均質なユークリッド平面こそがモダニズムなので、ある意味モダニズムは必然だったのだろうか。
ピクチャレスクと廃墟。(ここ一番おいしいとこなのに、集中力が落ちてたスイマセン)
The Chancel and Crossing of Tintern Abbey, Looking towards the East Window 、J. M. W. ターナー、1794年
ピクチャレスクとは、18世紀にイギリスではやった美的概念のこと。
人工美でなく自然美を重視されたが、実際は人工的に作られた自然であって、どこか矛盾している。
ちなみにピクチャレスクって知ってると「おおコイツ勉強してるな」ってなるらしいから、皆さん、これ見よがしに使いましょう(笑)
問2 ピクチャレスクの庭園には必ずといっていいほど廃墟がある。なぜか?
sublime(崇高性)というのが重要なキーワードらしいです。
またまたウィキペディアでは、
---1757年の『美と崇高の理念の起源に関する哲学的考察』においてエドマンド・バークは、柔らかで穏やかな曲線は男性の性的欲望に訴え、一方で崇高な恐怖はわれわれの自己防御の欲望に訴えると考えられる、と述べた。美と崇高という、合理的に理念化された状態のあいだの存在の可能性を示しつつ、なおかつこの美と崇高という対立理念の調停者として、ピクチャレスクは登場した。トーマス・グレイが1765年にスコットランド・ハイランド地方について書いたように、「この山々は恍惚とさせる…それ以外の何ものでもない…かくなる恐怖にかくなる美がいかに結合するかを、神は知りたまう」---
とあります。
勝手な解釈だと、廃墟は、繊細な植物(美)と、巨大な山の(崇高性)の中間にあって、萌える。
自然のなかにある大きなもの(廃墟?)、崇高なものに萌えてたんだろうか。
最近も廃墟好きの人いますもんね。あの人たちはピクチャレスクなのかなあ。
今の、植物と建築の問題も200年前からあった。
石上純也さんがビエンナーレ日本館の中に植物園を作ったのも、ピクチャレスクと繋がっている考え方だとか。
ビエンナーレの写真はヴェネツィア ときどき イタリアに詳しくあったのでご覧くだせえ。
石上さんは廃墟好きなのかな?聞いてみたい。
そして再びブレードランナーのハイライトシーン見る。
レプリカント(人造人間)の死が折衷主義の終焉らしい。さすがに意味不明です。
来週らへんからモダニズムに入っていきます。
2010-11-07 18:37
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近代建築史(その2) [建築の歴史]
マニエリスムからバロックへ
ギリシャ→ローマ→ロマネスク→ゴシック→ルネサンス→今ココ
現代もある意味マニエリスムで、建築と社会が乖離している
ルネサンス(旧世界)
↓(飽きた・・)
マニエリスム
↓(のち、新しいパラダイム)
バロック(新世界)
1 マニエリスム(=アンチルネッサンス)
ルネッサンスが徹底的に飽きられた特殊な時期。マンネリの語源でもある
極端な遠近法と明暗のコントラスト、不自然な人体プロポーション、複雑で謎めいた主題表現、など、共通して奇怪ともいえる雰囲気をもっている。
マニエリスムは、一言でいうと。ミステリアス。世界ふしぎ発見。
またはボーイズ・ラブ的なエロスがある気がする。
パラツィオ・デル・テ
設計:画家・ジュリオ・ロマーノ(そのころのアーティストはなんでもやった)
特徴1「形式の崩壊」
ルネサンスはお手本をギリシャ・ローマに求めた「引用的な」想像であった。
引用であるから、伝言ゲームみたいに、誤差(変形)が生じる。
しかし、マニエリスム期には、その変形を楽しむようになる。
オーダーからの逸脱
・愛人との愛の巣
・三角形の切り妻型の屋根はギリシャ風
・アーチの根元が4本に分かれている
・扉がふたつあるけど、開くのは片方だけ笑
・アーチのキーストーンが梁を貫いている
・絵的なお遊びが立体になっている
ここまで読むとマニエリスムは、単なる悪ふざけのパニック映画のように見えるが、ルネサンスの世界観に対して「それは違うんじゃないか」と問い直し反抗した時代でもあった。実際に「時間というもの」が建築表現に初めて取り入れられるようになり、のちにバロックというパラダイムの転換が起こり、新しい世界になった。
今でいうとマニエリスムは「原発デモ」みたいな感じなのだろうか。パラダイムが変わればいいのだけど。例えば60年代の学生紛争も、ただ反抗したかっただけではないだろう。例えば「『知』というのはもっと広がってるのではないか?」とアカデミズムの権威としての大学へ反抗した。(ちょっと脱線)
特徴2「時間の介入」
パラツィオ・デル・テで出現した建築における時間の表現
・秘園 ポンペイの廃墟のような、時間の流れを表現したシークレット・ガーデン♡
・グロッタ(ほら穴)(グロテスクの語源)はローマ時代へのタイムマシーン
パラツィオデルデのグロッタが、建築における初めての時間表現。建築でないものが、建築にはりついた感じ。「薄暗い小道を抜け、角を曲がると・・」みたいな小説的なシークエンス。
「形式=いつでもどこでもその形」というモデル、つまり時間が含まれない。建築にどうやって「時間」を取り入れるか、という問題はこの時期から考えられた。
2 バロック スペイン語で「沈んだ真珠」
クアトロフォンターネは宝石のような建築。宝物なんだけど、それらにディストーションがかかった運動のある世界。マニエリスムはルネッサンスの悪ふざけだけど、バロックで遂にルネッサンスと対比される世界が生まれる。一番大事なのは「運動」時間を動かす、そういうものが目指された。端的にいえば、楕円。楕円=運動性の象徴 なぜ楕円か?そういえば車のエンジンも楕円
「サン・カルロ・アッレ・クァトロ(4つの)・フォンターネ(泉)」/フランチェスコ・ボッロミー二
スピードのあるペリメントの曲率。図像的に統合性のある、構築された世界。
遠近法やトロンプユを用いながらも、それらは小さい空間を生かすためとして上手く利用している。
F1みたいな世界。スィーっ!中に入ると、自分が魚になったような感じになる(らしい)
3 ケプラー・宇宙・都市
問:動きのある楕円のような歪んだ建築が、なぜ説得力をもったか。
「建築は、基本的に時代に寄り添うものであるから、社会にその背景がある」
当時、「惑星は楕円軌道を回る」というケプラーの第三法則がそのころ明らかになった。
太陽の位置は楕円の中心ではなく焦点のひとつである。中心はひとつでないという重要なポイント。
オースマンのパリの都市計画は、庭園の中心をいくつも作ることによって「それを楕円でつなぐことによって」都市が意味をなす。多中心によるネットワークが世界を描いた。
その結果「都市」とその周りの「郊外」という都市構造が生まれたり、植民地支配(=「我々が領地を広げても、領地との関係性が1つの世界だ」という論理)も、楕円すなわち衛星としての概念が支えてしまう。
ギリシャ→ローマ→ロマネスク→ゴシック→ルネサンス→今ココ
現代もある意味マニエリスムで、建築と社会が乖離している
ルネサンス(旧世界)
↓(飽きた・・)
マニエリスム
↓(のち、新しいパラダイム)
バロック(新世界)
1 マニエリスム(=アンチルネッサンス)
ルネッサンスが徹底的に飽きられた特殊な時期。マンネリの語源でもある
極端な遠近法と明暗のコントラスト、不自然な人体プロポーション、複雑で謎めいた主題表現、など、共通して奇怪ともいえる雰囲気をもっている。
マニエリスムは、一言でいうと。ミステリアス。世界ふしぎ発見。
またはボーイズ・ラブ的なエロスがある気がする。
パラツィオ・デル・テ
設計:画家・ジュリオ・ロマーノ(そのころのアーティストはなんでもやった)
特徴1「形式の崩壊」
ルネサンスはお手本をギリシャ・ローマに求めた「引用的な」想像であった。
引用であるから、伝言ゲームみたいに、誤差(変形)が生じる。
しかし、マニエリスム期には、その変形を楽しむようになる。
オーダーからの逸脱
・愛人との愛の巣
・三角形の切り妻型の屋根はギリシャ風
・アーチの根元が4本に分かれている
・扉がふたつあるけど、開くのは片方だけ笑
・アーチのキーストーンが梁を貫いている
・絵的なお遊びが立体になっている
ここまで読むとマニエリスムは、単なる悪ふざけのパニック映画のように見えるが、ルネサンスの世界観に対して「それは違うんじゃないか」と問い直し反抗した時代でもあった。実際に「時間というもの」が建築表現に初めて取り入れられるようになり、のちにバロックというパラダイムの転換が起こり、新しい世界になった。
今でいうとマニエリスムは「原発デモ」みたいな感じなのだろうか。パラダイムが変わればいいのだけど。例えば60年代の学生紛争も、ただ反抗したかっただけではないだろう。例えば「『知』というのはもっと広がってるのではないか?」とアカデミズムの権威としての大学へ反抗した。(ちょっと脱線)
特徴2「時間の介入」
パラツィオ・デル・テで出現した建築における時間の表現
・秘園 ポンペイの廃墟のような、時間の流れを表現したシークレット・ガーデン♡
・グロッタ(ほら穴)(グロテスクの語源)はローマ時代へのタイムマシーン
パラツィオデルデのグロッタが、建築における初めての時間表現。建築でないものが、建築にはりついた感じ。「薄暗い小道を抜け、角を曲がると・・」みたいな小説的なシークエンス。
「形式=いつでもどこでもその形」というモデル、つまり時間が含まれない。建築にどうやって「時間」を取り入れるか、という問題はこの時期から考えられた。
2 バロック スペイン語で「沈んだ真珠」
クアトロフォンターネは宝石のような建築。宝物なんだけど、それらにディストーションがかかった運動のある世界。マニエリスムはルネッサンスの悪ふざけだけど、バロックで遂にルネッサンスと対比される世界が生まれる。一番大事なのは「運動」時間を動かす、そういうものが目指された。端的にいえば、楕円。楕円=運動性の象徴 なぜ楕円か?そういえば車のエンジンも楕円
「サン・カルロ・アッレ・クァトロ(4つの)・フォンターネ(泉)」/フランチェスコ・ボッロミー二
スピードのあるペリメントの曲率。図像的に統合性のある、構築された世界。
遠近法やトロンプユを用いながらも、それらは小さい空間を生かすためとして上手く利用している。
F1みたいな世界。スィーっ!中に入ると、自分が魚になったような感じになる(らしい)
3 ケプラー・宇宙・都市
問:動きのある楕円のような歪んだ建築が、なぜ説得力をもったか。
「建築は、基本的に時代に寄り添うものであるから、社会にその背景がある」
当時、「惑星は楕円軌道を回る」というケプラーの第三法則がそのころ明らかになった。
太陽の位置は楕円の中心ではなく焦点のひとつである。中心はひとつでないという重要なポイント。
オースマンのパリの都市計画は、庭園の中心をいくつも作ることによって「それを楕円でつなぐことによって」都市が意味をなす。多中心によるネットワークが世界を描いた。
その結果「都市」とその周りの「郊外」という都市構造が生まれたり、植民地支配(=「我々が領地を広げても、領地との関係性が1つの世界だ」という論理)も、楕円すなわち衛星としての概念が支えてしまう。
2010-10-07 13:21
コメント(2)
近代建築史(その1) [建築の歴史]
9/30(木) 10:40近代建築史 中谷レーニン先生
やること
1 西洋ルネッサンスから西洋近代建築の誕生と発展
2 江戸、明治、大正、昭和の日本建築と建築家
1流行の疲弊とルネッサンスの発見
まずはルネッサンスを学びます。
なぜなら、ルネッサンスから始まる近代として見ないと、
20世紀以降のモダニズム建築の本質はうまく捉えなれないんだそうです。
反復する様式として、歴史は繰り返される(また、積み重なる)ということを前期に教わりました。
そういう認識がないとルネッサンスが成立しない。
様式を追求し、行き着くとこまでいくと、建築に携わるひとが疲弊してしまう。
問題を見つける→解決と疲弊→新たな問題の発見のループでみんなヘトヘトになる。
そのループの、問題の発見に、過去が再利用されたのがルネッサンス。
歴史の反復から生まれた、ねじれ→宙づり(ルネッサンス)
いまいち宙づりという言葉のニュアンスが掴めません。
フィレンツェ サン・ロレンツォ教会
外観
内観
図書室はミケランジェロが作った。
ブルネレスキからミケランジェロの部屋を見るとルネッサンスが全部わかる。
丹下健三は、流動性がないとしてブルネレスキを嫌った
作家性をことごとく削ぎ落とした、数学的、原理的なプロポーション。
柱も正方形だったり。甘くない、ブラックのコーヒー。ピシっとした感じ。
3理想都市、理想の建築をいかに決めるか
当時のフィレンツェは、20年前の現代みたいにカオスで、いかにして建物の高さや広さを決めるか迷っていた。
コンテキストがないから、幾何学という根拠に頼るようになる(砂漠のピラミッドと同じ)
サンタマリアデルフィオーレ
ブルネレスキがしたのは、天蓋をかけるだけ。 天蓋のドームの大きさは43.2mで、パンテオンの屋根と同じ大きさ。
ローマの引用!!! だからこんなにデカいのか!
2 ヒューマニズム 人間中心主義 遠近法にいるのは誰か
ヒューマニズムってなんやねん →自分はどこにいるか、という問題。
神や宇宙のことを考えているころは、自分の立ち位置なんて考えない。
デカルトの座標軸もこのころ。 俯瞰的に、自分はどこにいるのか、という視点を獲得するようになった。
高校の教科書にある「ルネサンス=人間性を謳歌」というのとは雰囲気が違って、もうちょっと脅迫的な感じ。
そのひとつの手法が遠近法(これも発見したのはブルネレスキ。ブルネレスキすげえ)
遠近法(パースペクティブ)
フラ・アンジェリコの『受胎告知』
絵の中に確かにいるけれど、そこに描かれていない、自分の位置が逆算できる。
受胎告知の描かれ方に遠近法が取り入れられることで、劇的に変わった。 座標的に自分のいちがわかる
建築書の発見
「ウィトルウィウス 建築書」の発見←これしかない唯一無二のデータベース。
そっからオーダー(命令)という教科書(ウィトルウィウス)が生まれた!
いろんな人が「建築書」を、図的に復元するようになる。
ウィトルウィウスしかなかった。ウィトルウィウスからどう抜け出すかがルネサンスの課題でもあった。
建築書→非常に厳密なので、展開のしようがない。また疲れてきちゃう。
5 再び流行の疲弊 二次元を三次元に押し込める方法が逆に三次元に展開していく。
パースに見えるような教会、みせかけの内部(だまし絵的な建物) テアトロ オリンピコ 劇場という限られた空間をなるべく広く見せるように、無理矢理広く見せた。
↑これが50年くらい続く安定の崩壊だった。
そっからミケランジェロの登場!
ラウレンツィアーナ図書館
階段かっこいい
ブルネレスキはマッチョで男らしい、原理的な考え方の天才。
ミケランジェロはそれに生命を与えるような才能がある、ホモでなよなよ。
ミケランジェロ(楳図かずお)の暗さ。
ラウレンツィアーナ図書館の奥の彫刻がダーク。
ポーズが疲れてる。頭抱えてたり。ダビデの反対みたいな感じ。
病んでる系の彫刻作品。
磯崎新も引用した、カンピドリオ広場(ローマ・ミケランジェロ)楕円の誕生。
来週は、楕円、歪み。バロック。
フォークからディストーションがかかったギターへ。
今日の質問
建築をつくるほうの建築家は、「これを引用しました、とか、これに影響されましたとか言わなくていいのか。また、自覚的である必要はあるか」
→必要ない。わかる人にはわかるし、これ引用したとか言うとバカっぽい。かえって無意識に影響されているほうがその時代を色こく反映してたりする。
やること
1 西洋ルネッサンスから西洋近代建築の誕生と発展
2 江戸、明治、大正、昭和の日本建築と建築家
1流行の疲弊とルネッサンスの発見
まずはルネッサンスを学びます。
なぜなら、ルネッサンスから始まる近代として見ないと、
20世紀以降のモダニズム建築の本質はうまく捉えなれないんだそうです。
反復する様式として、歴史は繰り返される(また、積み重なる)ということを前期に教わりました。
そういう認識がないとルネッサンスが成立しない。
様式を追求し、行き着くとこまでいくと、建築に携わるひとが疲弊してしまう。
問題を見つける→解決と疲弊→新たな問題の発見のループでみんなヘトヘトになる。
そのループの、問題の発見に、過去が再利用されたのがルネッサンス。
歴史の反復から生まれた、ねじれ→宙づり(ルネッサンス)
いまいち宙づりという言葉のニュアンスが掴めません。
フィレンツェ サン・ロレンツォ教会
外観
内観
図書室はミケランジェロが作った。
ブルネレスキからミケランジェロの部屋を見るとルネッサンスが全部わかる。
丹下健三は、流動性がないとしてブルネレスキを嫌った
作家性をことごとく削ぎ落とした、数学的、原理的なプロポーション。
柱も正方形だったり。甘くない、ブラックのコーヒー。ピシっとした感じ。
3理想都市、理想の建築をいかに決めるか
当時のフィレンツェは、20年前の現代みたいにカオスで、いかにして建物の高さや広さを決めるか迷っていた。
コンテキストがないから、幾何学という根拠に頼るようになる(砂漠のピラミッドと同じ)
サンタマリアデルフィオーレ
ブルネレスキがしたのは、天蓋をかけるだけ。 天蓋のドームの大きさは43.2mで、パンテオンの屋根と同じ大きさ。
ローマの引用!!! だからこんなにデカいのか!
2 ヒューマニズム 人間中心主義 遠近法にいるのは誰か
ヒューマニズムってなんやねん →自分はどこにいるか、という問題。
神や宇宙のことを考えているころは、自分の立ち位置なんて考えない。
デカルトの座標軸もこのころ。 俯瞰的に、自分はどこにいるのか、という視点を獲得するようになった。
高校の教科書にある「ルネサンス=人間性を謳歌」というのとは雰囲気が違って、もうちょっと脅迫的な感じ。
そのひとつの手法が遠近法(これも発見したのはブルネレスキ。ブルネレスキすげえ)
遠近法(パースペクティブ)
フラ・アンジェリコの『受胎告知』
絵の中に確かにいるけれど、そこに描かれていない、自分の位置が逆算できる。
受胎告知の描かれ方に遠近法が取り入れられることで、劇的に変わった。 座標的に自分のいちがわかる
建築書の発見
「ウィトルウィウス 建築書」の発見←これしかない唯一無二のデータベース。
そっからオーダー(命令)という教科書(ウィトルウィウス)が生まれた!
いろんな人が「建築書」を、図的に復元するようになる。
ウィトルウィウスしかなかった。ウィトルウィウスからどう抜け出すかがルネサンスの課題でもあった。
建築書→非常に厳密なので、展開のしようがない。また疲れてきちゃう。
5 再び流行の疲弊 二次元を三次元に押し込める方法が逆に三次元に展開していく。
パースに見えるような教会、みせかけの内部(だまし絵的な建物) テアトロ オリンピコ 劇場という限られた空間をなるべく広く見せるように、無理矢理広く見せた。
↑これが50年くらい続く安定の崩壊だった。
そっからミケランジェロの登場!
ラウレンツィアーナ図書館
階段かっこいい
ブルネレスキはマッチョで男らしい、原理的な考え方の天才。
ミケランジェロはそれに生命を与えるような才能がある、ホモでなよなよ。
ミケランジェロ(楳図かずお)の暗さ。
ラウレンツィアーナ図書館の奥の彫刻がダーク。
ポーズが疲れてる。頭抱えてたり。ダビデの反対みたいな感じ。
病んでる系の彫刻作品。
磯崎新も引用した、カンピドリオ広場(ローマ・ミケランジェロ)楕円の誕生。
来週は、楕円、歪み。バロック。
フォークからディストーションがかかったギターへ。
今日の質問
建築をつくるほうの建築家は、「これを引用しました、とか、これに影響されましたとか言わなくていいのか。また、自覚的である必要はあるか」
→必要ない。わかる人にはわかるし、これ引用したとか言うとバカっぽい。かえって無意識に影響されているほうがその時代を色こく反映してたりする。
2010-10-02 12:53
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