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サブカルチャー論 2012 1/26 [サブカルチャー]

宮沢章夫さんの「サブカルチャー論」の授業ノートです。基本的には授業中に聞きとったものなので、内容に間違いがあったり、誤解しているかもしれません。そのへんを考慮して読んで頂けるとありがたいです。

文化的潮流と時代ごとの事象を、その背景から学ぶ。
サブカルチャーもいろいろあるけど、宮沢さんが興味があるのはアニメやAKB48のポップカルチャーではなく、ストリートから出てくるものや、サブカルチャーという文化的周縁。オープニングはFatboy Slim "The Rockafeller Skank"

Topic
・「90年代サブカル」の終焉と、ストリートの思想
・2000年代へ。大学からストリートへ
・おさらいとしての60年代カウンターカルチャー


・「90年代サブカル」の終焉と、ストリートの思想
「BURST」2001年9月号 青山正明 追悼
自殺していたカリスマ麻薬系ライター青山正明。

ドラッグが共通する60年代と90年代との違いは、「夢」みたいなものがないこと。90年代はもっと即物的だった。端的に快楽だった。というのは彼らからしてみると、「60年代のヒッピーのやつらは宗教的なビジョンとか、恣意的な体験を得るとか言ってたけど、そんなの嘘だろ、単に気持ちがいいからだろ」と、もっともらしい虚構をひっぺがそうとしていた。

「ヴィデオドローム」(デイヴィッド・クローネンバーグ監督、1982年)を見る。
全体的に退廃した雰囲気。

もうひとつの死。2010年、村崎百郎の死。
鬼畜・下品なふるまいをすることで社会の暗い側面を暴こうとした。
自らの中にある「鬼畜の部分、不道徳的な部分」から目をそむけることができなかった。
他者が「それら」を隠し、無かったことにしようとするのが許せなかったのだろうか。

美しかったり、きれいだったり、エコだったり、オーガニックだったり・・ノイズや汚いものが無視される潮流をひっくり返してやろうという反動としての、鬼畜、ドラッグ、露悪趣味というものがあったのではないか。

・2000年代へ。大学からストリートへ
メディアによって言説の種類も変わる。

ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)

ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)

  • 作者: 毛利 嘉孝
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 単行本



ポストモダン理論、社会理論、サブカルチャーという三角関係

80年代 ニューアカデミズム 浅田彰 中澤新一 雑誌などの紙メディア
90年代 姜尚中や宮台真司のような知識人は、朝まで生テレビなどテレビを活用した。
思想や哲学がサブカルチャー的な妄想力にとって変わってしまったオウム事件。

宮下公園がナイキからお金もらって整備され「宮下ナイキ公園」になるところだった。
「Our Park」をみる(You Tubeで探したけどなかった)
1955 サブカルの誕生
1965 東京の変容
1975 70年代パラダイム=マイノリティの発見(フェミニズム、在日外国人、部落差別、障がい者、少数民族問題、性的マイノリティ)
1985 バブル胚胎
1995 バブルの終焉と95年の切断

・<港区的>なるものを挟みこむ、<高円寺>と<秋葉原>という特別な街

中心である六本木(港区的なるもの)ネオリベラリズム的な、六本木ヒルズのきれいさ
おしゃれだな、とは思うけれど、それだけでいいのだろうか。
六本木ヒルズの街っぽさ。複雜で面白いんだけど、もともと複雜だったろう。
かつての文化背景を壊してすべて精算してまで再開発する必要があったのか。

周縁である高円寺と秋葉原
・高円寺
タトゥー屋 味二番 グラフィティ リサイクルショップ「素人の乱」
「三人デモ」の映像を見る。「クリスマス粉砕集会」
徹底的にふざけている。原発デモでその「緩さ」がなくなったかというと、そうでもなかった。
労働組合デモに見られるシリアスさがなかった。彼らにとってデモは表現活動の一部だったのではないか。

「貧困と富裕」
・秋葉原
2008年6月の殺傷事件 7人が死亡。なぜ秋葉原だったのか?
渋谷を通っているはずなのに、彼の社会への悪意はスクランブル交差点ではなく、秋葉原へ向かった。
トヨタの基幹工場の労働者だった犯人。歴史的にも、貧困者が貧困者を攻撃するという現実がある。なぜ?
「中心と地方」
サウダージ(2011)役者がいない


・60年代からの呼びかけ、その思想とはなんだったっけ?
「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」
Woodstockの映像見る。37分ダラダラ一曲やりながらジャズ、ロック、ファンク、ジャンルが変化し、物語があるような感じ。ネーミングの面白さ、誰もが知っているような英語を使って印象的な名前を作る。「得ようと思ったら、まず与えなければならない」これこそ60年代的な思想だった。
録音自由 無料で価値のあるものは、磁石のように人をあつめ、ライブに来る人も増える。様々な価値を生み出す。

スティーブジョブスのスピーチを見ておわり。なぜコンピュータができたか、それはまさに60年代の思想から来るものだった。
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サブカルチャー論15 [サブカルチャー]

1/27 木曜 文学部校舎 宮沢章夫先生

ある時間が過ぎてから、わかることがある。

「90年代サブカル」の終焉と、ストリートの思想

2000年代へ。大学からストリートへ
折しも、先週の日曜日、秋葉原の歩行者天国が2年ぶりに再開した。

Fatboy Slim "The Rockafeller Skank"がオープニング すぽるとの曲だ!!


「ビデオドローム」を見る。面白かったけど、スキャナーズのほうが面白い。

BURST 青山正明追悼

青山が90年代サブカルの時代性のようなものを、最も色濃く体現していた。

ドラッグと深く関係していた90年代。
それを代表する映画「トレインスポッティング(1996)」

去年、松竹で見たな。この映画最高だ。
トイレに突っ込む幻覚シーン。汚らしさ

美しかったり、きれいだったり、エコだったり、オーガニックだったり・・・そんな時代をひっくり返してやろうという反動として、鬼畜、ドラッグ、露悪趣味というものがあった。


第二章 「知は大学からストリートへ」

「ストリートの思想」
80年代 ニューアカデミズム 浅田彰 中澤新一 雑誌などの紙メディア
90年代 カンサンジュンや宮台真司のような知識人は、朝まで生テレビ!などテレビを活用した。

思想や哲学が、サブカルチャー的な妄想力にとって変わってしまったことをオウムが示している。

宮下公園がナイキからお金もらって整備され「宮下ナイキ公園」になるところだった。

小熊英二による25 年周期説

宮沢章夫による10周期説
1955 サブカルの誕生
1965 東京の変容
1975 70年代パラダイム=マイノリティの発見(フェミニズム、在日外国人、部落差別、障がい者、少数民族問題、性的マイノリティ)
1985 バブル胚胎
1995 バブルの終焉と95年の切断

第三章 <港区的>なるものを挟みこむ、<高円寺>と<秋葉原>という特別な街

六本木(港区的なるもの)ネオリベラリズム的な、六本木ヒルズのきれいさ、美しさ
おしゃれだな、とは思うけれど、それだけでいいのだろうか。例えばゴミ箱はどこにあるのか。
かつての文化背景を壊してすべて精算してまで再開発する必要があったのか。

高円寺 早稲田 秋葉原 は一直線に並んでいる。

高円寺のスライドを見る。 タトゥー屋 味二番 グラフィティ リサイクルショップ「素人の乱」

「三人デモ」の映像を見る。「クリスマス粉砕集会」

中央線文化を見る。
「ライブテープ」


秋葉原 2008年6月の殺傷事件 7人が死亡。なぜ秋葉原だったのか?
渋谷を通っているはずなのに、彼の社会への悪意はスクランブル交差点ではなく、秋葉原へ向かった。

それから二年半が過ぎた。

そして今。

チェルフィッチュ 現代を象徴する身体

彼らの表現する身体、高円寺の身体、フリーターの身体、秋葉原の犯人の加藤の身体は、同じではないか。


今こそ、書を手にして街に出る。

ピストルズ 阿部和重

ピストルズ

ピストルズ

  • 作者: 阿部 和重
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/03/24
  • メディア: 単行本


切りとれ、あの祈る手を

切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話

切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話

  • 作者: 佐々木 中
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2010/10/21
  • メディア: 単行本


ストリートの思想 

ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)

ストリートの思想―転換期としての1990年代 (NHKブックス)

  • 作者: 毛利 嘉孝
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2009/07
  • メディア: 単行本




通りから何かが出現している。

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サブカルチャー論14 [サブカルチャー]

現在を「今」語ることはできるけど、時間がかからないと分からないことがある。
言わばストリート・アルケオロジー。地層に埋まっている何かを掘り起こす作業

KEN ISHII「EXTRA」

アニメーションとテクノの親和性を感じる。


「90年代サブカル あるライターの死」時代を穿つ力と、ある特別な一瞬。
Aphex Twin "4"が今日のオープニング 


95年 地下鉄サリン事件(3・20)と阪神淡路大震災(1・17)
最初にオウム真理教のことを知ったとき。世間は、「面白い人達」という認識だった。
あらゆるものを面白がる80年代的なふるまいで、オウムに対しても、面白がるという消費をしていた。「面白さの消費」

平田オリザと「現代口語演劇のために」


平田オリザの仕事〈1〉現代口語演劇のために

平田オリザの仕事〈1〉現代口語演劇のために

  • 作者: 平田 オリザ
  • 出版社/メーカー: 晩聲社
  • 発売日: 1995/03
  • メディア: 単行本


現代演劇は、役者がどれだけ「歯が痛い」といううまい演技をしても「ああそうですか」いうシニシズム的な態度。

トピックとなるイベント
・Windows95 →パソコンの台頭
・阿部和重の登場「アメリカの夜」「インディヴィジュアル・プロジェクション」
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ピストルズ

ピストルズ

  • 作者: 阿部 和重
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/03/24
  • メディア: 単行本



アメリカの夜 (講談社文庫)

アメリカの夜 (講談社文庫)

  • 作者: 阿部 和重
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/01/17
  • メディア: 文庫



インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)

インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)

  • 作者: 阿部 和重
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/06
  • メディア: 文庫


それまでの文学ともまた異なる力をもって私たちに何かを語りかけてきた。
・Quick Japan 95年5月号 「石野卓球×青山正明 対談 裏テクノ専門学校」
リフレインされた音楽で体が動く、身体性。そしてこの二人の邂逅。

これらが共時的に、95年というある一点で起こった。


1 「危ない1号」の創刊
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青山正明 慶應義塾大学在学中に創刊した「突然変異」で不謹慎なことばっかり書いていた。
露悪趣味、自身の内面性をさらけ出す。後に「鬼畜」とされることを語っている。

(DEVO SATISFACTIONを見る。)

編集者としての青山正明
危ない1号」の創刊時、青山はマリファナで逮捕されていた。
青山正明の編集ポリシー「妄想にタブーなし」

「パルプ・フィクション」を見る。

タランティーノの登場も90年代の性質を表している。


2 「鬼畜」という概念の出現 村崎百郎
ダスト・ハンティング ゴミ漁りする人

村崎百郎は、雑誌「夜想」の編集者・黒田一郎だった。

スカしてるやつ、かっこつけてるやつへのアンチテーゼとして、下衆な自分をパフォーマンスした。
村崎百郎は、根本敬と黒田一郎が作ったキャラクターであり、笑いだった。そしてそれが一人歩きした。

その背景にある、きれいさ・美しさ(ニュータウン、東京、NYがきれいになる)への反動だったのではないか。
95年 ユリイカが「悪趣味大全」特集をやる。BAD TASTEはアメリカでも流行ったとか。
「自殺完全マニュアル」は自殺を促進しているとして社会から避難されたが、そうではない。
街がきれいになることで「死」というものや、人間の負の側面が隠されてしまう。

LOOP GURU "Diwana"

もうひとつの死 村崎百郎の死

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サブカルチャー論13 [サブカルチャー]

シャレオツという言葉を最近使えるようになった宮沢先生。
シャレオツとは、オシャレ的なものへの批評。オシャンティー。

サブカルチャーからサブカルへ 90年代サブカルと「95年」の切断
DERRICK MAY THE DANCE


どうして「サブカルチャー」が「サブカル」になったか。その意味とはなにか。

そもそもサブカルチャーは、メインカルチャーというものへのカウンター・対抗があった。
しかしサブカルは、メインカルチャーを意識していないという違いがある。

90年代サブカルとはなんのことか?「危ない」「鬼畜」というキーワード。
・青山正明「危ない1号」
51jlBhm3pKL.jpg
・Quick Japanにおける青山と石野卓球の対談
・「ぼくたちの完全自殺マニュアル」
などなど、「スカしている」ものへの反発。人間なんてこんなものだろという発見があった。

デリック・メイを聴く。
Strings of the strings of life

lil louis video clash


大友克洋、絶望的な未来「デストピア」をマンガで描いた功績。

Quick Japan

フリッパーズ・ギターから「渋谷系」と呼ばれた潮流

フリッパーズ・ギターは、小山田圭吾と小沢健二がメンバーだったバンド。
GROOVE TUBEを聴く


フリッパーズ・ギターは、テレビ番組「イカすバンド天国」に見られるバンドブームの影響下にあった当時の日本に詞、曲、ファッション、メディアとの関係等の点からその潮流に一石を投じ、さらには日本の軽音楽の流れに多大なる影響を与えた存在であると認識されている。この観点から日本の軽音楽の流れにおいて「フリッパーズ・ギター以前か以後か」という区切りが用いられている事も多く、フリッパーズ・ギターの登場により、多種多様な音楽が大衆に受け入れられるという土壌の形成を促すに至ると同時に、多くの形式上類似したバンドが登場することとなる。因みに、フリッパーズ・ギターが解散し、小沢・小山田が活動再開を始めた93年後半に(本人たちの意思とは無関係ではあるが)、オリジナル・ラヴやピチカート・ファイヴなどと共に、それまでのJ-POPシーンに見られなかった強い洋楽志向を指す「渋谷系」というムーブメントが巻き起こった。(wikipedia)

Pizzicato Five twiggy twiggy 野宮真貴かわいい。


QUIET VILLAGE MARTIN DENNY をレコードで聴く。



時代の共時性 1995年という切断

95年が出現させたもの
たとえば、ノイズを排除したニュータウンの美しさ。ニュータウンに代表される。きれい過ぎる、清潔感への反応、「排除と美しさへの反動」

ペヨトル工房 再考 異端という悦楽 雑誌「夜想」

必然的に生まれたにも関わらず、死への力をもっていたのが90年代サブカルチャー?


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サブカルチャー論12 [サブカルチャー]

90年代へ

そのまえに「スキャナーズ」(1981)デヴィット・クローネンバーグ を見る。

60年代のドラッグの流行は、ヒッピーの運動など、ある種ユートピア的な希望の方向への働きがあったが、80年代末から90年代にかけては、それとは逆の絶望感のようなものが文化を支配する。

happy monday hallelujah がオープニング


1−1 THE SECOND SUMMER OF LOVE

1988年から89年にかけて、イギリスにおけるアシッドハウス(ドラッグ)と快楽主義、レイヴパーティ(手作り感のあるダンスパーティ)の再来が起こった。1967年、サンフランシスコで起こったサマーオブラブ、いわゆるサイケデリック・ロックと愛と平和の精神の時代と類似していることから、ポップ史ではこれをセカンドサマーオブラブと呼んでいる。60年代、DIY的な精神を背景にしている。

primal scream loadedを聴く


1968年から20年後に再びドラッグブームが起こった。

けれど、さらに20年後の2008年にはなにも起こらなかった。
それはどうしてか。

→95年の切断、そして2001年の経験があったからではないか、という仮説(次回へ)

1−2 中学生問題
中学生における「文化」との出会い方

中学生は深夜を発見する。
親とは時間の異なる時間帯、深夜=ある意味「自我」を見つける。

中学生のとき何に出会ったか。

上村聡さん 電気グルーヴに出会う。
電気グルーヴのオールナイトニッポンの話を聴く。
ラジオで紹介したテクノ音楽をかけまくる。
とにかく聴きまくる。

で、宮沢さんと上村さんのヒップホップ談義
candy flip
the KLF
the shamen
808 state
hypnotone
the stone roses
alterm 8
rotterdam
Ren Et Gaston
Rhythim is Rhythim ・・らを聴く。全部聴く。

オールナイトニッポン最終回でかけた曲
Sulfurex Point Break

電気グルーヴ Popcorn を聴いておしまい。

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サブカルチャー論10 [サブカルチャー]

80年代で顕著になった「モノを売る」という仕事。第三次産業がそれ以外の仕事を圧倒的に凌駕するようになった。「広告都市東京」

広告都市・東京―その誕生と死 (広済堂ライブラリー)

広告都市・東京―その誕生と死 (広済堂ライブラリー)

  • 作者: 北田 暁大
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 単行本


西武セゾングループが渋谷を「広告都市」化させた。

「西武セゾングループは、文化化の戦略をつねに街・都市とのメタファーに即して展開してきた。
都市的なるものと企業広告との新たな関係、文化に媒介された都市との関係性ーを模倣した点にこそ、80年代を先導した西武セゾンの真骨頂である。」(「広告都市東京」より)

区役所通り。(google mapのストリートビューから。画質上がった。すごい)
区役所通り.jpg
PARCOパート2からNHKホール、渋谷公会堂(CC LEMON ホール)への坂道、
以前は何もない通りだったが、パルコの増田はなにかの気配を感じていた。
そして、区役所通りは完全に西武セゾングループの戦略によって大きく変えられた。

当時17歳の藤原ヒロシの話を聴く
「丘の上のパンク」藤原ヒロシの半世記

丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記

丘の上のパンク -時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記

  • 作者: 川勝 正幸
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2009/02/26
  • メディア: 単行本



藤原ヒロシのヒップホップのはじまりの映像とスチャダラパーの映像をみる。

スチャダラパーの「言葉の変容」肝心なのは変え方。日常の言葉をすこし変えてヒップホップ
ニッポン語でどう現代を語るか。

スチャダラパー「GET UP AND DANCE」

ポンキッキーズの声ってBOSE君じゃん!知らなかった

Frankie Goes To Hollywood "Relax" 1983 がオープニング

いろんなリミックス版が出た。同じ曲でリミックスしたのが何枚も出た。
「Relax」と「おたく」は同じ1983年に出現した。


様々な変容 巨大なコミケ。秋葉原の変容。


1978年、アニメーション研究会の変質 創作者から、受動者へ
手塚治虫の実験映像を見る。

モンティパイソンの映像のアニメはテリーギリアムが作っていた。それを見。


COM、ガロなどの初期の漫画雑誌 が流行する。
彼らが目指していたのは「永島慎二 漫画家残酷物語」

漫画家残酷物語・完全版(1) (その他)

漫画家残酷物語・完全版(1) (その他)

  • 作者: 永島慎二
  • 出版社/メーカー: ジャイブ
  • 発売日: 2010/10/30
  • メディア: コミック



実験的なアニメをつくっていた若者たちが、いつしかアニメーションのファンになっていた。
ルパン三世がその代表。それに並走するようにコミックマーケットが1975年に誕生し、発展する。
コミックマーケット=コミケは、元々はマンガを発表する場だった。次第にヤマトやガンダムをはじめとするアニメブームがあったりして、コミケの質も変わっていった。

「ムー」という雑誌の投稿欄が面白かった。なんかニコニコ動画みたいな感じ。

オタクの強力な指向である、自分たちとおなじようなタイプの人間とのみ、つまり自分の直接の映しとなる人間としか接しない傾向。言わば「内閉する連帯」というべき性質がある。

しかしそれはピテカンエレクトロプスのオシャレな人たちも同じだった。
仲間うちみたいな、閉鎖性が強く存在もしていた。

「趣味や情報を共有する集団の内部的埋没」という点においては、「おたく」も「ピテカン」も構造的にはほぼ同じである。と。
大きな意味での「他者」に出会わなくなった。

それは、サブカルチャーが「サブカル」になったことにつなげられる。
内閉がサブカルの特徴なのかな?

THE ART OF NOISE WHO'S AFRAID OF...!を聴く。

80年代の音楽の特徴はサンプリング。サンプラーは当時めちゃくちゃ高かった。


大友克洋の登場
大友克洋が80年代に果たした役割 きわめてリアルな日本人が描かれている。
的確なデッサン力、細い線、細かい描写、斬新なシーン。

童夢 (アクションコミックス)

童夢 (アクションコミックス)

  • 作者: 大友 克洋
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 1982/06/28
  • メディア: コミック


「童夢」超能力、超自然的な世界。
2008-06-19.jpg


そして、岡崎京子「リバーズ・エッジ」


リバーズ・エッジ 愛蔵版

リバーズ・エッジ 愛蔵版

  • 作者: 岡崎 京子
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2008/10/09
  • メディア: 単行本


岡崎京子は、絵もストーリーも、りぼんなどの、いかにも少女まんが誌には描けなかった。
それでエロ雑誌に描く。とても辛かった。それでもまんが家になりたかった。
「東京ガールズブラボー」
東京にあこがれる女の子。

東京ガールズブラボー (上)

東京ガールズブラボー (上)

  • 作者: 岡崎 京子
  • 出版社/メーカー: JICC出版局
  • 発売日: 1992/12
  • メディア: 単行本



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サブカルチャー論(第8回) [サブカルチャー]

12/2、18時15分、文学部にて 宮沢章夫「サブカルチャー論」

(最初の雑談)アニメーションについて
78年に宮沢さんが多摩美に休学から復帰復帰したとき、以前は実験的なアニメを作るサークルしかなかったが、復帰後はアニメ好きのサークルができたとか。

79年、アメリカにMTVが出来る。PVを流すことで音楽が売れるという事実が発覚し、そこからプロモーションビデオ(ミュージックビデオ)が作られるようになる。

バグルス「ラジオ・スターの悲劇」を見る。
1981年にアメリカのMTVで、開局時に最初にオンエアしたPVが、この「ラジオ・スターの悲劇」
すごく面白い。30年前だけど古くないし、当時としては相当実験的な映像なんだろうな。



80年代と都市文化、サブカルチャーの変容

広告都市・東京―その誕生と死 (広済堂ライブラリー)

広告都市・東京―その誕生と死 (広済堂ライブラリー)

  • 作者: 北田 暁大
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2002/10
  • メディア: 単行本



1 文化の中心都市の遷移について

原宿、表参道
ブラタモリの表参道の特集の映像を見る。表参道は明治神宮の完成に合わせ国家プロジェクトで整備された土木感溢れる道で、その前までは、閑散とした砂利道だった。

hills.jpg
当時の表参道の写真、すごい迫力。

かつて、東京の中心は、深川や浅草など東京の東側だった。特に浅草はものすごい繁華街だった。しかし関東大震災が起こり、家が焼け出された人が東京の西側に住むようになる。

ちょっと記憶が曖昧ですが、
それに照準をあわせ京王グループが新宿を中心に京王線、小田急線をはじめ私鉄を作り、新宿の基盤を築くとかそんなような話もあった気がします。

文化のヘゲモニー(覇権)、文化の中心都市とは一体なんなのでしょうか。
『都市のドラマツルギー』に、「盛り場」という言葉を用いた以下の文章があります。
ーー「盛り場」にはセクシーさがある、盛り場とは、もともとは流動的な盛りを他の場所よりも濃密に抱えた空間であり、容器」である商業施設や娯楽施設よりもまず、「中身」である「盛」そのものにあるのである。ーー
吉見俊哉『都市のドラマツルギー』

「盛り場」たりうる条件は、施設よりも中身であるということ。60年代の新宿はアングラ演劇などがあったし、80年代の原宿には欧米文化の日本化がありました。新宿、原宿には濃密な中身があった。六本木ヒルズという箱を作ったからといって、六本木が「盛り場」にならなかったのはそういう訳なのかなと。だって六本木は全然セクシーじゃないもん。ITリテラシーの高い人達が住んでも文化は生まれなさそうだし。
『死への欲望がタナトスなら、その反対のベクトル、「生きる」という方向へのエネルギーがエロスではないか。』という宮沢さんの言葉が印象的でした。

では、新宿と原宿について見ていきます。


2−1 60、70年代の「盛り場」だった新宿と独自の文化

60年代的な「二流の街」「盛り場」として、60年代性を帯びた新宿があった。
小林信彦「うらなり」(坊ちゃんから30年後。日露戦争から3年後、1938年くらいの話)の冒頭。
ーー「銀座四丁目と呼ばれる場所の角に立って人を待つのはあか抜けない行為なのだろうな、と思った。」ーー
当時すでに銀座が一流だったことが分かります。
自分の家でクリスマスのキラキラした照明を飾るくらい恥ずかしいこと、と宮沢さん(教室笑)

「うらなり」の中で堀田が、新宿が盛り場になりはじめている(また、二流の盛り場である)ということを、武蔵野館、中村屋のライスカレーも含め指摘する。映画の武蔵野館、カレーの中村屋は今もあるそうです。
「銀座」に対する「新宿」「原宿」「渋谷」がサブカルチャーなのかもしれません。
ちなみに新宿の前の「二流」の盛り場は神楽坂だったらしい。銀座はずっと一流。

2−2 60年代とアートセンター新宿文化

伊勢丹の近くに「アートセンター新宿文化」という場所があった。今は文化シネマ。
そこでは、ゴダールなど芸術性の高い映画を安く見ることが出来て、若者が集まった。
「気狂いピエロ」の映像を見る。車を燃やすシーン。(これは予告編)


アートセンター新宿文化では、映画を見た後に演劇を見たりもできた。
また新宿では、唐十郎さんの状況劇場、佐藤信さんの黒テントなどアングラ演劇が人気を博した。
百果園という果物屋(今もアルタの隣にある)の前では大規模なデモが起こり、
風月堂というジャズ喫茶には、横尾忠則や寺山修司などの芸術家や、外国人旅行者が集まった。
時代の中心だった都市には、そのような「伝説の場所」があった。
また、新宿紀伊国屋書店も時代を象徴する施設の一つ。
もちろん当時アマゾンなんてない。紀伊国屋に行けば欲しい本がある、という特別な記号性が新宿紀伊国屋書店にあった。

大島渚「新宿泥棒日記」を見る。
時代の寵児だったグラフィックデザイナー横尾忠則が紀伊国屋で万引きをしようとするシーン(これは予告編。ハードボイルド?な感じだなあ。かっこいい)


当時の宮沢さんには「東京に行く」=「新宿に行く」くらい、文化の中心が新宿にあったそうです。

3 新宿から原宿へ。原宿とは一体何か?

文化の中心家は明治通に沿って原宿、渋谷へ。という話は先週の授業でやりました。80年代になると原宿が文化のヘゲモニー(覇権)を獲得します。その背景は何だったのでしょうか。
川島蓉子「TOKYOファッションビル」を読む。

TOKYOファッションビル

TOKYOファッションビル

  • 作者: 川島 蓉子
  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
  • 発売日: 2007/05/22
  • メディア: 単行本


3−1 ワシントンハイツ

代々木公園がなんであんなにだだっ広いかというと、戦前はアメリカ陸軍の領地だったからです。
アメリカ空軍の宿舎「ワシントンハイツ」が代々木公園渋谷門の近くに建設されます。
そこに住む家族のために、キディランドや紀伊国屋ができました。
50年代に、「キディランド」が現在の位置にいち早くオープンした。
ワシントンハイツに居住する外国人の子供向けだったが、ギフト用の玩具ショップとして人気を集めるようになる。
そして、80年代。
戦後から原宿に脈々と潜んでいた新しいアメリカの文化が80年代の好景気に合わせ、原宿で「開化」した。「日本化」と置き換えてもいいかもしれません。
原宿の文化の背景はそこにあったというわけです。
(64年の東京オリンピックを契機ににわかに活気づいたのも一因です。)


3−2 原宿セントラルアパート

58年「原宿セントラルアパート」が今のGAP跡地のところにできる。(というか、原宿セントラルアパートの跡地にGAPが出来た)

ちなみに今はGAPもなくなって、現在新しい商業施設の工事が始まりました。
デザイン・設計は建築家の中村拓志さんが手がけるみたいです。
http://bit.ly/bIyTjX写真

60年代になるとそこに、クリエイターやカメラマン、デザイナーが住みはじめるようになります。
80年代には、糸井重里や朝日慎平など、横文字の職業名(コピーライターとか)の、当時の先端の職業だった人達がセントラルアパートに続々と事務所を構え、原宿の繁栄を決定づけた。

そして北参道にピテカンエレクトロプス、ラフォーレ原宿ができて、若者の街原宿の完成です。
ラフォーレも今ではずいぶん古くなったそうですが。それでも原宿のアイコンとしての印象は僕にも感じられます。

その後、原宿も文化的に衰退していきます。
原宿に「カラオケ館」が出来たときに宮沢さんは「原宿、終わったな」と思ったらしいですが、桑原茂一さんは、原宿に回転寿しが出来たときに「もう終わったな」と思ったそうです。

宮沢さんがラフォーレでやった演劇「スチャダラ」を見る。
「スチャダラパー」という名前はこのコントから生まれたらしい。宮沢さんスゲエ!

来週は「西武セゾングループによる渋谷の広告都市化についてです。それではまた。

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サブカルチャー論(第7回) [サブカルチャー]

18年前に書いた戯曲「ひねみ」の話から
主人公の兄(13歳)が中学校から帰ってくる、新聞で三島由紀夫の死を知るが、忙しい大人たちは気に留めない。
そういえば、今日(11月25日)は三島由紀夫が死んだ日。思想で死んだ人は初めてだった、と宮沢さん

電気グルーブ「タランチュラ」のMVを見る。
まじカッコイイから見たほういい。

DOMMUNEのディレクターも勤める宇川直宏さん。カッコよすぎです!

宇川さんから宮沢さんへのDOMMUNE出演依頼のメールが、全文に「!!!」がついてるそう。
大きな声出し過ぎ、らしいです。(教室、笑)

 born under punches talking heads がオープニング


1  80年代とおたく

『「おたく」の精神史 』大塚英志
現代のオタクと、80年代の「おたく」
80年代を語る上では、83年が非常に重要。83年から、1980年代の精神性が始まった。

for example,,,

東京ディズニーランド開演
任天堂ファミコン
大友克洋「童夢」
浅田彰「構造と力ー記号論を超えて」(→構造主義を超えて、発展させる,,?)
中沢新一「チベットのモーツァルト」(→オウムに影響を与えたことで有名)
そのほか、
吉本隆明「マス・イメージ論」、無印良品 青山店、YMO散開、オールナイトニッポン、糸井重里による 西武百貨店「おいしい生活」キャンペーンなど、83年はインパクトのある出来事が同時多発したすごい年だったのです。

さて、「おたく(=オタク)」はどこから来たのか?
宮崎勤幼女連続殺傷事件を抜きには語れないそうです。
2008年6月17日 宮崎勤の死刑が(今までよりも早いスピードで)執行された。
ある揶揄する言葉だった「おたく」という言葉がこの次元を受けて一般名詞となった。
そして、「おたく」が「オタク」に変わる。

宮崎勤の部屋には8000本をビデオテープがあった。
そこにスプラッターもの(残酷なやつ)は数本しかなかったそうだが、それが取り上げられ、一時期ビデオ屋からグロい系のビデオが借りれなくなったほどの社会現象になり、同時に、オタクへの、誤解ともいえる歪んだ見方が確立してしまいます。「人ごとには思えなかった」と大塚英志さんは言う。

おたくからオタクへの変遷をサッとふり返ります。
83 「おたく」ということばの出現
  「まんがブリッ子」の連載で、中森明夫による「おたく」の命名
89  宮崎勤事件が明らかになる「おたく」という概念の一般化
91「SPA!」が「オタク」と表記する

今でもオタクに対する冷たい偏見はかなりあると思う。
皮肉にも、宮崎勤事件が「オタク」の市民権を歪んだ偏見と共に確立してしまった。


宮沢さんが持ってきたポータブルレコードプレイヤーで「MELON DO YOU LIKE JAPAN ?」のアナログ盤を聴く。

宮沢さん、即興でスクラッチ、かっけー。

2 80年代とタモリ、スネークマンショー

タモリの笑いは、キートンのようなアクション性のある「笑い」から身体性を削ぎ、笑いをも情報化する、というまさに80年代(=情報化社会)を象徴するふるまいである。
このふるまいをこそ「虚ろなスタイル」と呼ぶことができる。

スネークマンショー「シンナーに気をつけろ」を聴く。
音だけのコントです。めちゃくちゃ面白いです。クフフ、と笑ってしまう。

桑原茂一さん 小林克也さん

同じく「これなんですか」も聴く


桑原茂一さんが作った、ピテカンドロプス・エレクトス
かっこいいとしか言いようがない。文化的ヘゲモニー、趣味判断の高さ。


3 都市空間とサブカルチャーの変容

文化の変容と中心都市の移動。新宿、原宿、そして渋谷へ。
ピテカンドロプスは、明治通沿い、北参道にある。
60年代は、新宿で文化が発展した。それが70年代後半から80年代にかけて、明治通りに通ってその特別な文化「かっこよさ」は原宿に移動したのではないか。

ついつい余談が盛り上がる宮沢さん。
「まあ、サブカルチャーってそもそも余談だよね」なるほど。

しかし、文化の中心だった渋谷が駄目になった瞬間は、埼京線が渋谷に繋がったとき(=埼玉の人が渋谷に来るようになった)だったと(笑)そして何かが変わった(自分もそうであると宮沢さん)

次回も80年代。毎回用意してきたものの1/3程度しか見せられないそうで、残念。もっと聴きたい。

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サブカルチャー論(第5回) [サブカルチャー]

11/11 木曜日 18:20 今日は紫のインナーを着た宮沢さん
後期の授業では、60年代から現在を、サブカルチャーという文脈で学んでいる。

2010年になって、ゼロ年代も終わった。
年代でカテゴライズするのって本当に意味があるのかな?って思うかもしれないが、時代の空気みたいなのはあるだろう。雰囲気を掴むのには良いとっかかり。

はっきり区切れるわけではなくて、60年代というのは、65-75年くらい。でもある。
80年代も、85年くらいからようやく実感として感じられるようになった。と宮沢さん。

今日は70年代半ばから80年代初頭まで。
こうやって、60年代から遡って過去のことを学んでいるのは、今を理解するアプローチ。
現在のことを考えるために、この勉強をやっているのであって、それを常に念頭に置いておかねばならない。
と、いうことで、最近の音楽、「BLITZ」 DIGITALIZMのミュージックビデオを見る。



クラブというものができた。「大人が遊ぶ場所」千駄ヶ谷のあたりに、はじめて桑原茂一さんがつくった。

サブカルチャーという文脈
ニッポンにおけるヒップホプはどこで生まれたか

□□□ 「ヒップホップの初期衝動」

六本木インクスティック

70後半 YMO


「聴いたことの無い音楽はない」と細野氏、音楽的素養の深さがあの音楽を生んだのではないか。


ここでいったん、アメリカ文化の変容について

ヒーロー像はさらに変化する
ベトナム戦争からの脱却、アメリカ社会の自信の回復

1976年 taxy driver → 76年、ロッキー。(ロッキーfinalはイラク戦争で疲弊したアメリカをうけているのではないか。)

1978年 スターウォーズ

その間の1977年に宮沢さんに何があったか!
1977年の個人的な記憶。
75年入学、多摩美生の宮沢さん。77年、疲弊して、休学する。田舎に帰ってぼうっとしていた。

節目としての77年
77年代における時代(そして髪の毛)の切断

neil young を聴く ニールヤングに代表して、それまでは長い髪が多かった。
しかし、77年以降、髪があまり伸びなくなった。温暖化の影響ではないか、と宮沢さん(笑)
78年に大学にもどると、大学のみんなの髪が短くなっていた。何がおこったか理解できなかった宮沢青年。

→セックスピストルズが登場したことで、みんな髪つんつんになった。
 もしくはYMOの登場で、テクノカットになった。


ここで一旦、コンピュータの話。
77年はコンピュータ界にも重要な年だった。

76 宅配便の(突然の)確立。 コンピュータ端末の整備が進んだから
77 アップルⅡ発表 その爆発的な売れ行きによって、あ大売るコンピュータ社が誕生した。

PCとは、60年代のカウンターカルチャーがもたらし、生み出した存在である。
それまでのコンピュータは、人間を管理する存在(という畏敬がの念あり)、個人が使うものではなかった。

その象徴がHAL (IBMの3文字を人文字ずつスペルをずらしたのは有名な話。知らなかったけど)

2001年宇宙の旅、HALとの会話シーンも見る。(お正月に早稲田松竹で見ました)


人格を持ったコンピュータ、HALが反乱する。
→それはつまり、当時の人々は、コンピュータ・人工知能に支配されるのではないかという恐怖があった、ということの現れでもある。
hal9000-1.jpg

・・ロックに戻ります。

YESの全然スーンじゃない曲「soon」のライブ映像を見る。

しかし、「YESなんか聴いてもしょうがないんじゃないか」ってなった。
もっと叫びたくなった。(?)で、パンクロックが登場する。

音楽性の高さではない、パンクの過剰さが人々の心を掴んだ。
こぼれ落ちるような感じ。ヘタさ。不満が爆発して、壊れる。


クラッシュ 白い暴動 を見る。


この失業率や閉塞感は、現代日本に似ているのではないか。
閉塞感があるときに、面白い人たちが出てくる。
それゆえ、今の日本の若い劇作家には独特の身体性がある。と宮沢さん。

ラモーンズ rockaway beach 見る

単純なリズムで縦ノリだからおどりやすい。ていうかジャンプしてればいい。グルーヴって何?


セックスピストルズ アナーキーインザユーケーみる



彼らの音楽、ファッション、言動が文化的な潮流になった。
セックスピストルズというブティックでたむろしていた若者たちだった。いってみりゃ素人。

素人が勝つこともある。というか、どうやったら素人になれるか、どうしたらヘタになれるか、宮沢さんもいつも考えている。

そしてニューウェーブへ。テクノポップとその周辺における文化の変容。
日本ではYMOが出現する。
YMO2008(cropped).jpg


70年代後半から80年代における、テクノという思想
80年代、ゼビウスという、圧倒的にグラフフィックの美しいテレビゲームが出現する。
テクノの思想は、ゼビウスに通ずる、洗練された音楽性

彼らのお手本は、ドイツのクラフトワーク
髪が無い、モミアゲがない。宮沢さんも80年代はモミアゲがなかった。

オードリー見せる(笑)サービス精神ww

ビートルズのマッシュルームカット。
YMO RYDEENを見る。


高橋幸宏のドラムに典型される、クールなドラム。

最後に口ロロ見て終わり!

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サブカルチャー論(第四回) [サブカルチャー]

遅刻した、みやざわさん。「ぼんやりしてて」って笑


「whole earth catalogと70年代、そしてさらに、アメリカンニューシネマとアンチヒーローたち3」

american beauty grateful dead がオープニング

これはgrateful deadの違う曲だけど、カントリーぽい感じする。

70年代って、いまから40年前だから、なんのことだかわからないと思うけれど。
生き方の模索 政治からコミューンへ
当時のアメリカでは、コミューン(ある集団、村のようなもの)を作って自然の中で暮らす動きがあったとか。

ブラックベアというコミューンの映像を見る。
動物を飼ったり、自給自足してる、キャンプみたいな感じ。
「政治を変えることで私たちの生活を変える」というトップダウン式の活動ではなく、

わたしたち「個」の生活を見つめ直して、生き方を変えていけば、全体も変わっていくというボトムアップな意識だったんだろう。

コミューンの暮らしがよく分かる映画として、EASY RIDERを見る。

Born to be wild デニスホッパーかっこいい。
ちなみに、大学生になって初めて早稲田松竹に行ったときに見た映画はこれでした。
マッタク違う価値観をバーン!てぶつけられて衝撃でした。

EASY RIDERは、脚本なしの即興映画で(知らなかった)実在するコミューンの映像を撮っている。ある種のドキュメンタリー。

コミューンの人たちには、真摯に「生き方」を問っている姿勢も感じられるが、
インターネット育ちの僕には共感できなかった。アンチ文明っぽいノリにムリしてる感あったから。

ヒッピー文化も、真摯に「生き方」を問っている姿勢、というものが基底にあった。
RussianRainbowGathering 4Aug2005.jpeg
ヒッピーについてwikipediaで調べてたら色々書いてあって面白い。

「正義無きベトナム戦争」への反対運動を発端とし、愛と平和を訴え徴兵や派兵に反発した若者達がヒッピーの中心である。

若者を中心に爆発的な人気を誇ったロックバンド「ビートルズ」によるインド巡礼やマリファナやLSDを使用した精神解放等により全米・そして世界へとそのムーブメントは広まっていくことになる。
マリファナと深い結びつきがあるのね。
サンフランシスコ(アメリカ西海岸);米国におけるヒッピームーブメントの中心地 アムステルダム(オランダ) * イビサ(スペイン、地中海に浮かぶ島) * コペンハーゲン(デンマーク);ヨーロッパ最大のヒッピーによる無政府主義国家クリスティアニアがある * ゴア(インド西海岸);俗にヒッピー三大聖地の一つ、バックパッカーの沈没地、レイヴ、ゴアトランスでも有名。 * カトマンズ(ネパール);俗にヒッピー三大聖地の一つ * カウンターカルチャー * ナチュラリズム、エコロジー、オルタナティブ * アンダーグラウンド (文化 * ウッドストック・フェスティバル、セカンド・サマー・オブ・ラブ * フリーセックス * J・D・サリンジャー (小説家) * 横尾忠則  * 寺山修司 * 大島渚 * 植草甚一 * ザ・ビートルズ * グレイトフル・デッド * ボブ・ディラン * ジョン・レノン * ニール・ヤング * ジャニス・ジョプリン カルメンマキ * 忌野清志郎

今日のメインテーマは「雑誌」

今と違い、当時、「雑誌」が持つ影響力はとても大きかった。
当時の雑誌について学ぶことが、当時の雰囲気を掴む手っ取り早い方法かもしれない。


ヒッピー文化とホールアースカタログ(1968)

ホールアースカタログ
090311_01-1.jpeg

ホールアースカタログについては、greenzに、的野裕子さんという方が書いためちゃくちゃいい記事があるのでこれを読んでみて!

今はWeb上で全部見れるらしいです。
一冊一冊は薄くて、5ドルとかだった。
Stewart Brand-200904.jpeg
代表のスチュワート・ブランド

重要なのは、値段が書いてあって、どこで手に入るかがちゃんとかかれていること。
カタログということが重要なコンセプトだった。

坂口恭平さんも「ゼロから始める都市型採集狩猟生活」で「ホール・アース・カタログ」に影響を受けたって言ってたし、アトリエワンの貝島桃代さんもこの雑誌について言及していた気がする。(気のせいかも)

ホール・アース・カタログでは、日本の家についての本(the japanese house)の特集もしばしばあった。縁側や軒下が彼らの目にはかクールに映ったのだろう。

スティーブジョブスがスタンフォード大学の卒業式で「ホールアースカタログ」について語る。その映像を見る。
ちなみに宮沢さんはアップル信者ではない、と言っていた。
スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式でのスピーチ。
12:50から見てください!
「Stay hungry, stay foolish」という名言もホースアースカタログからの引用だった。

ジョブスは、スチュワートブランドの強い信念に憧れていた。
「ホールアースカタログは文庫版グーグルだった。」
最終巻の背表紙には、早朝の田舎の写真と、Stay hungry,Stay foolishという文字

asahi.com「ネット最前線」スチュワートブランドのインタビュー。
ホールアースカタログはインターネットだった。なかったから本にした。情報は自由を求めている。uhyo-.kakkoii.


「MUSIC LIFE 三月号」 みやざわ先生が中学二年生の三月のとき。
レッドツェッペリンが、不動の地位にいたビートルズを人気投票で抜いて一位になる。
感動した宮沢少年はソッコーでレコードを買いに行った。

led zeppelin immigrant songを聴く。

アーアーアーアー、アーアーアーアー


サブカルチャー雑誌としての「宝島」の変遷と、70年代としての役割。

「宝島」the manual for cityboys というコンセプト 植草甚一
1975年3月号 
全都市カタログ Whole City Catalogという特集をした。
ウオールデンの紹介とかもされている。

表紙が一面、片チチの「もうブラジャーはいらない」特集もあった。スゲエ時代だ。
佐藤信さんや、松本隆さんが連載していた。


キャロル ファンキーモンキーベイベー見る。

若い矢沢永吉を初めて見た。うーん微妙だ。だが若い!

それと同時に、はっぴいえんど 「風をあつめて」を見る。


ジャケットかっこいいなー。細野さん若い!!
この授業はPVもちゃんと一曲流してくれるのが、とても素敵♡


アメリカンニューシネマのハイライト、そして終焉。

スケアクロウ

これで合ってたっけな???

ファイブ・イージー・ピーシース

これも早稲田松竹で見た!ジャックニコルソンの活躍はんぱない!

カッコーの巣の上で ミロシュ・フォアマン1975


タクシードライバー

デニーロ!
1976←ここ重要 ベトナム戦争が終わり、疲弊したアメリカが国家の自信を復活する兆しを反映している?

敗者の姿をしながら勝者という、新しいヒーロー像の出現
やはりタクシードライバーがアメリカンニューシネマの終わりだった。


そして新しい映画の登場。
ロッキー スターウォーズ

実は、はじめてスターウォーズを見る。はははは


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