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ギリシャ:3大いなる目覚め、4美の王国 [美術の物語]


エジプト美術が「ここではないどこか」に向けてつくられたものだとすれば、ギリシャは「人間のために」つくられたものであり、「知識をもとに、自分の目を信じること」にその特色がある、というのがこの2章分のメッセージだろうか。端的にまとめられているのはここだ。
ギリシャ時代の偉大な革命の時代――ありのままの自然な形と短縮法を発見した時代――は、人類史のなかでも、もっとも驚嘆すべき時代だった。それはまさに、ギリシャの都市に住む人びとが、神々についての古来の言い伝えに疑問を抱き、先入観を排し、ものごとの本質を探求しはじめた時代だった。それは、今日私たちが理解しているような意味での科学と哲学が、初めて人びとの心に目覚めた時代、ディオニュソスを称える儀式から初めて演劇が誕生した時代だった。(ポケット版、68P)
しかしながら当時の芸術家たちはけっして知識階級ではなく、あくまで手を使って生計のために働く人々だったという。
具体的には短縮法の発見(B.C.500ごろ)はじめ、輪郭線の継承(エジプト美術から)や運動感の表現といった特徴をみることができるが、「からだの働き」を描こうとした目的は別のところ、「魂の働き」を描くためだったという。
しかし、当時のギリシャ人たちがもっとも重要だと考えたのは、それとは別のことだった。どんな姿勢の、どんな動きをする人体でも自由に表現できる、という新しい技術を使って、彼らは人物の内面を映し出そうとしたのだ。彫刻制作の訓練を受けたことのある大哲学者ソクラテスは、弟子のひとりの言によれば、芸術家たちの内面を表現するよう奨めていたという。表現すべきは「魂の働き」であり、それには「感情が体の働きに及ぼす影響」を正確に観察しなければならない。それがソクラテスの考えだった。(p78)
こういう考えが2500年も前に生まれていることがすごいし(ソクラテスすごいよ)、この一文を書いたゴンブリッチもすごい。

この「大いなる目覚め」は紀元前520年から420年までの100年だったという。この時代に広場も演劇も批評行為も始まったというのだから、彼が革命と言うのも決して大袈裟ではないように思える。

こうしたギリシャ美術はアレクサンドロスによって東方に伝播したヘレニズム美術のなかでさらに多様化するが、ヘレニズムについては詳しくは割愛。覚え書きだけすると
・肖像の誕生
・荒荒しい強烈な劇場効果が好まれる傾向(ラオコーンとか)
・作者による能力の誇示や、人々を喜ばせようとする意図
・美術が古くから有していた呪術的な関係がおおかた失われる(ゴンブリッチはこれを否定的には捉えていないのもミソ)
・風景画の誕生(ヘレニズム期において最も革新的だとされる)
・ただし、パースペクティブ(一点透視)の誕生はさらに1000年以上先

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第2章 永遠を求めて エジプト、メソポタミア、クレタ [美術の物語]

第一章を書いてからひと月が経ってしまった。未だ早起きは確立していない。。ダメダメだ。
ともあれ7時に起きて毎日このブログを書くことを改めて目標にします。これは楽しいから。

第二章はエジプト美術について。
「墓は語るか」のテキストで岡崎さんは「墓の両義性」(これについてはまた)について述べていたが、少なくともエジプト美術は「死者のため」にあるものであった。なぜなら生きているものが誰ひとり見ることが叶わないからだ。テキストを見てみよう。
エジプト人の信仰では、死後の魂にとって遺体を保存するだけでは不十分だった。王の肖像もいっしょに残せば、さらに確実に王は生きつづけることができると考えられていた。そこで彫刻家に命じて、固くて風化しにくい御影石で王の頭頂部を彫らせ、それをだれの目にもふれない墓室に納めた。墓のなかではまじないが働き、肖像を通じて魂は生きつづける。現にエジプトでは、彫刻家は「生かしつづける者」と呼ばれた。(中略)その厳粛ですっきりした感じは、一度みたら忘れられない。(中略)人間の頭部の基本的に形が、厳しいまでの集中力で追求されているからだ。 (ポケット版50-51p)
ゴンブリッジはエジプト美術に見られるこうした特徴を「幾何学的な調和と鋭い自然観察のバランス」としている。「きれいさでなく完全さ」が求められたのは、その目的が「死者のため」であり、死後の王に仕えることができるものを(おそらく描いたものが具現化すると考えていた)描ききる必要があったからだ。

「観察と抽象化」これこそデザインの基本だと思うんだけど、こうした技術が5000年前から存在していたこととがびっくり。いきなりすごい技術が登場した!というか、設計演習Aで少しずつ習得した技術が、最も古いとされるエジプト美術で非常に高度なレベルで達成されているところとか。。
しかもそのスタイルは3000年近くも続いたという。かの巨大なピラミッドの建設にしても、はたまた一神教の存在にしても、人間を遥かに超えるスケール感がクレイジーに思えてならない。けれども永遠に続く砂漠と焼きつくような太陽の下では、「私たちより圧倒的に大きなもの」を想像せざるをえないのだろうか。

以下では本書で語られていたエジプト美術の特徴をまとめるが、つまるところ「そのやり方は画家の仕事というより地図作りに似ている」という言葉に集約していると思う。
・死者の魂以外、だれも見ることはない
・はるか昔は有力者の死の際には召使いや奴隷も(あの世でのお供として)埋葬される習わしがあった
・その身代わりとなる像(イメージ)が彫刻やレリーフといった美術品だった
・人や木や動物など、その特徴がもっともよく分かるような角度から描く
・人間からどう見えるかは重要でないため、遠近法は用いない。データ化。
・重要な人物は大きく描かれる
・画家たちは壁に直線の編目をつくるところから始めた(方眼用紙)
・鳥や魚はいまもその種類を識別できるほど細部にいたるまで正確に描かれた(知識を描く)

生きている人は誰ひとり見ることが許されないからこそ、誰が見ても理解できる工夫が必要となった。永遠をもとめて、誰よりも他者のために作られた美術。それはある意味で地図よりも客観的だ。
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1章 先史文明 [美術の物語]

というわけで早朝に美術の物語を一章ずつ読むのが日課になりつつある。素敵だ!

1不思議な始まり

Lascaux_painting.jpg
ラスコー洞窟の壁画
美術の始まりは小屋と同じだった。小屋が強い日差しや雨風から身を守ってくれるように、なんらかのイメージをつくることは、自然の脅威を生み出す精霊からも身を守ってくれるものだった。

それらは、「実用的なもの」として使わないと意味がない。「イメージの力」展でさんざん見た世界各国のお面や像も同様に、たんなる飾りではなく、実際の「効果」を期待して制作されたものだ、ということは見ていてつくづく感じた(ただ、メキシコ系の人形はおそろしい程にゆるキャラで、脱力してて笑えるものばかりだった)。いったいぜんたい「イメージ」に込められた思いはどれほど強かったことだろう。見えないものとつながるろうとする力が現在とは全然ちがう。だから精霊や死後の世界が身近な存在であった「霊性ネイティブ」の彼らには、羨ましさすら感じてしまう。

そうして多種多様なお面が作られているわけだが、多少おかしなことになっていても、ちゃんと「顔」と認識できることが大事だ。それが個人の経験なのか、人類の記憶から来るものなのかは分からないけど「お面のバランスが少しでもずれてたら顔に見えない」ようであれば、お面はここまで汎用性のあるものにはならなかっただろう。

位置関係がだいたい同じなら、顔に見えるはずだ。未開人の作り手にとって、これはたぶんとても大きな発見だった。位置関係がだいたい同じなら、多少変化をつけても顔に見えるのだから、顔や形を作るのに、自分の好きな形を、自分の技術レベルに合わせて選べるのだ。そうして出来上がったものは、あまり写実的ではなかったかもしれない。しかし、位置関係に一定のパターンがあるため、ある程度の統一と調和が感じられたはずだ。(p.46)

と、ここまで書いて、以前アトリエ・ワンが、お面に潜む「人間の顔の定型」を建築に例えて書いていたのを思い出した。彼らは建築の長い歴史において生み出されてきた定型や類型を「系譜」としてとらえ、系譜を出発点に設計活動を行なっている。

「人間の顔という定型を成立させている不変の配置のなかで励起された、特定項目の想像的な振る舞い」。お面の意味はこのように位置づけられる。このお面の変形技術、変形をめぐる知性には学ぶべきことが多そうである。『空間の響き/響きの空間』(INAX出版、2009、p.17)
(中略)つまり、さしたる特徴もないあたりまえのたくさんの住宅に似ていながらも、あるいは似ているからこど、一部を変形させることによって、おもしろい、驚きをもった建築をつくることができるのである。同p.18

実用、類型という二点において(現代においてお面が実用性を帯びる場面は少ないが)、お面と建築に共通点があり、そして僕はお面も建築も大好きである。

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序章 美術とその作り手たち [美術の物語]


美術の物語

美術の物語

  • 作者: E.H.ゴンブリッチ
  • 出版社/メーカー: ファイドン
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本

伊藤暁さんと木口さんが『美術の物語』について熱く語っていたら、研究室に廉価版じゃないものがあったので、ありがたく読み始めた。というわけでまずは序章。絵を描いているときのバランス感覚。
これこそが美術だというものが存在するわけではない。作る人たちが存在するだけだ。(p.15)
この章で気になった絵
Albrecht+Durer+-+Portrait+of+Durer+s+Mother+.JPGアルブレヒト・デューラー「母の肖像」
540px-Durer_Young_Hare.jpgアルブレヒト・デューラー「野うさぎ」

11_Picasso_chick.jpgパブロ・ピカソ「雌鳥とひよこたち」

KHM-Raffaello.JPGラファエロ「草原の聖母」

リンクで画像が貼れなくて絶望している。
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「ことば」は「からだ」から


天野祐吉のCM天気図 傑作選―経済大国から「別品」の国へ

天野祐吉のCM天気図 傑作選―経済大国から「別品」の国へ

  • 作者: 天野 祐吉
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: 単行本



という題だったかは怪しいのだが、天野祐吉さんの「CM天気図」でもとくに記憶にのこっているのが「言葉は頭からではなく、身体から出てくるものだ」という天野さんのメッセージだった。
ちょうど修士論文の計画書や、エントリーシートに四苦八苦しているときだったから、余計に響いた。

じっくり考えて丁寧にことばを選ぶことも重要だと思うけれど、
即興でダンスを踊るときのような、ポンって出ることばが今の自分にとって大事な気がする。
というか、集中しているときは手で考えているような感覚で、そのほうがことばも健康な気がする。

というわけでしばらくは即興で文章を書きなぐっていきたい。

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