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変身願望について

バイリンガルニュースというpodcastを最近ずっと聴いてる。
移動中も、寝るときも、お風呂でも、アンドソーオン。エブリデイ

そのまえはTEDでJRやビャルケ ・インゲルスなど好きなアーティストのトークを繰り返し聴いていて、この4ヶ月くらいは英語を集中的に聴いていた。
というのは、もちろん喋れるようにもなりやいし、勉強という側面もあるのだけど、モチベーションの根源を掘っていくと、「変身願望」みたいな欲求に行き着くのではないかという気がしている。英語を使うもう別の自分が細々と育っていくのを楽しんでいるような感じだろうか。言語が違うからテンションも違うし、声も、リズムも、思考の形まで変わる気がする。

変身願望を叶える手っ取り早い方法は、誰も過去の自分の知らない場所に行って、新しいキャラクターになることだと思うのだけど、今はそれができないから、もうひとりの自分をつくることで代用している感じ。しばらくはこの感じを楽しみたい。

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20140204 GST

設計演習Aの石川スタジオの講評を見ていて思ったのは、フィールドワークのコツは最終形を想像しないこと。石川さんがいうように「愚直に、執拗に、そして丁寧に」は本当そうだと思う。G、S、T。忘れずにいたい。

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20140117


村落共有空間の観光的利用

村落共有空間の観光的利用

  • 作者: 池 俊介
  • 出版社/メーカー: 風間書房
  • 発売日: 2006/11/15
  • メディア: 単行本



入会林、墓地、茅場といった、村の共同所有/利用されている空間(村落共有空間と呼ぶことにする)の変化とそれに応答する村落主体(共同体?)の関係を見る視点が、具体的なブツから集落を読み取ろうとする建築学からの集落研究にも必要じゃないか、というようなことを『今和次郎「日本の民家」再訪』を読んでから考えてた。それが「建築」なのかと聞かれると難しいし、建造物や工作物を無視しては元も子もないけど、民家の年代特定ややみくもな実測をやってればいい時代じゃない。

集落の「らしさ」は共有地に顕著に表れている(はず)なので、研究のやりがいはありそう。建造物から入会地まで含めて集落の土地利用をみる。必然的に所有/利用主体である共同体の変化を見ることになる。地租改正からの150年くらいのタイムスケール。観光にも触れざる得ないだろう。都市と村落の関係の歴史研究としても見れるし、前近代的な「共同体」や「総有」の概念を再検討することは、最近もてはやされているシェアとかコモンズとやらにも何か言えそうな気がしないでもない。

この本の内容にはまだ触れていない



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開拓の歴史 [修論へむけて]


日本民衆史〈1〉開拓の歴史

日本民衆史〈1〉開拓の歴史

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 未来社
  • 発売日: 1963/06
  • メディア: 単行本

宮本常一「日本民衆史」シリーズの総論にあたる「開拓の歴史」を読んだの備忘録。
perfumeを聴いています。

一 食用植物の確保
日本人が古代からどのように生きてきたのかを考えることは、開拓者の歴史を考えることと同じようなものである。その開拓者たちの生活を支えたのは自然採集によるところが大きかったとしている。とくに、採集と畑作を強調しているところが本著の特色であろう。
「記録を中心にして書かれた歴史では、採集経済時代から農耕経済時代にはいると、すべての農民が農耕によって生きているような筆致で書いているけれども、本当の民衆の歴史はそういうものではなく、平坦な水田単作地帯をのぞいては、なお採集経済が長く続いていたのである。そして農民たちは米は税としておさめ、自分たちは畑でつくったものや、自然採集したものに大きくよってきたのが、明治・大正までの姿であるといっていい。」(p.20)
一部を除く広い範囲で明治・大正まで採集経済が続いてきたというのはにわかに信じがたいのだが、柳田國男『山村生活の研究』や同『郷土食慣行調査報告書』などによると、とくに東日本では自然採集の割合が多く、一日一度は餅を、トチやドンクリなど果穀類の餅を食べているところが多いそうだ。
こうして日本の民衆はいつまでたっても原初の生活から容易にぬけだせなかったのであるが、それにもかかわらず、この国土のあらゆる振りな条件を克服して、隅々にまで住みついたのである。(p.21)
自分の現実生活と乖離しすぎてて、まるで実感がない。

二 畑作おこる
日本の農耕の歴史は稲作を中心に展開するのであるが、農耕の起源は、水田耕作以前に畑作があったと推測され、国名も畑作の名前がついたものがいくつかあるとか。安房・阿波はアワ、吉備はキビ、信濃はシナノキ(繊維)、武蔵は焼畑(東京都の西部や山梨では焼畑をサシとかサスとか言うことがある)から来たのではないかとしている。正直粟は何度か食べたことあるけどキビ(黍のほうが稷より味が良かったらしい)も実感がない。
元来、畑作物は貢租の対象になることがすくなかったから、その様子を伝える記録はきわめてすくないのだが、とにかく農耕のなかで畑作のしめる位置はかなり高いものがあった。それもそのはずで、明治初年までは畑の面積のほうが水田面積よりもひろかった。そして畑があることによって民衆は日常の生活をうちたてることができたといえよう。

三 狩猟から放牧へ
シカやイノシシの狩猟は今でも続いているけど、人々が定住するにつれて放牧が始まり、古墳時代にはいるとウマやウシの数が増え始めた。東北地方の馬は頑健で走るのも早かったらしく、中部や近畿の馬の2-3倍の値段(イネ600束とか)で売れたらしい。すごい。それにしても「牧」の景色のイメージができない。長野に多いらしい。

そして

四 鉄と織物と木器
五 稲作技術の伝来
六 稲作の発展
七 古代国家の統一
八 条里の村
九 水田の増加
一〇 荘園の発達
一一 名田と垣内
一二 太閤検地の意義
一三 戦争から開拓へ
一四 開拓郷土と草分け百姓
一五 小農経営の成立
一六 牧から畑へ
一七 焼畑の変遷
一八 老人と開拓
一九 次三男と貧民
二〇 新作物と開拓
二一 明治以後の開拓

と続くのだが、このペースで書いていくのはまる一日はかかるのではないか。
挫折。そのうち書き足します。
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131109 物語について

10月26日の今和次郎賞の授賞式で、瀝青会とともに受賞された延藤安弘さんの講演 『マンションをふるさとにしたユーコート物語』を聞いた。 以下はユーコートについての引用。
京都洛西ニュータウンにある中層集合住宅。 46戸の居住者が建築家と協力し、設計に参加したコーポラティブ住宅の方式で建設された。 住棟に囲まれた敷地中央のまとまった共用緑地と広場からアクセスするコモンアクセス形式の住戸配置計画である。 48戸の住宅はそれぞれ個性を保ちながら、住戸間のコミュニケーションを考慮して、必要なときにお互いに行き来できる様にしたつづきバルコニーや通り抜け共用通路等を設けている。(京都、1985年) http://kenchikukeikaku2009.seesaa.net/article/121431884.html
講演のなかで「物語をナラティブにつむぐ」ということを言っていたのが印象的だった。共同生活の面白さもめんどう臭さも、ひっくるめて引き受けるという意味だと思うのだが、そのあと後藤先生も「都市計画はこれまでハードウェア、ソフトウェアを計画してきたが、ユーコートの試みはいわばナラティブウェア。これから都市計画はナラティブウェアをいかに設計するかに移っていくのだろう」みたいなことを言っていた気がする。
ナラティブとか物語性とか、うまく説明できないけど、「自分が生まれる前から続いていて、自分が死んでからも続いていく大きな物語に自分が接続されること」だと思っている。説明のなかに「物語」が入っていて全然うまく言えてないけど。

続(く気がする)
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